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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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「漫画家のなり方」26

第7章 漫画家に なりたい人 なる人 なれない人 ならない人

   その3 漫画家になれない人  

      13 何にも変わっていないことを、自分以外の何かのせいにしてしまう


5年10年、そこまでではないとしても、振り返ってみて、自分の立ち位置が変わっていないのだとしたら、その要因は自分で考えるしかないし、その時、その要因を自分以外の何かに求めてはいけません。



要因を自分の外に求める。
その思考に少しでも身を委ねた時点で、かなりアウトです。

「上手く言っていない要因は自分の中にあるのかもしれない」と気付く、大切な自己検証の機会を失うからです。


      14 感情をあらわにしすぎる

うまくいっていない要因を自分以外の何かにあると考え始めると、ふさぎ込んでイヤな感情をふりまくか、あるいは感情が爆発しやすくなります。

うまくいっていない要因を、自分のせい、自分の責任だと本当に考えられるならば、ただ黙って、まずはうまくいくための作業を始め、それを続けるはずです。
それが出来ず、その孤独に耐えられず、感情がコントロール出来ない場合に、感情があらわになってきます。
あるいは逆に、通常の感情も表に出なくなります。
そうして、人とのやり取りをおそれてふさぎ込んだり、逆に怒りやすくなったりします。間違えたら、病名が付きそうな精神状態にもなります。
感情の溜まるままふさぎ込んだり、逆に流れ出すままにして爆発させておいてはいけません。

仕事相手に、感情を前面に出してのやり取りをしてはいけません。
感情は、仕事の内容に、漫画なら漫画の内容に、出してぶつけて込めるものです。
目の前の仕事相手に、泣いたり怒ったりしてはいけません。
原則的にはね。

そうもいっていられないことは、もちろんいくらでも起こります。
そうした時に、感情を出してやりとりしてしまったことに関しては、すべて、自分、自分たちに降り掛かってきます。

自分で責任を負うことになるのです。
プロの漫画家は、それをも背負ってプロでいるのですから、まあ良しとして下さい。

プロを目指す人は、何者でもない時点で、責任の負いようのない「感情の発露」をして、よいことはほとんどありません。
目の前のプロの振る舞いの、目につきやすいところだけを真似すると、とんでもないことになるし、その時には、誰もその責任は取ってくれません。

感情と向き合う。
そうしたことに耐えるのは、基本的に、孤独なことです。
たくさんの仲間がいて、付き合いが多くて、社交的だとしても、最後のところでは、やはりその孤独と向き合うことになります。
その種類の孤独に向いていないならば、やはりそれは、漫画家という職業には向いていません。

むしろ、そうした様々な感情は、漫画家の原動力です。
そうして溜まる感情こそ、物語に移し替えて、白い紙の上に落とし込むべきものなのです。
なのに、そのエネルギーを、体から発散し、外界に向けてしまうのだとしたら、紙の上が空虚なままになってしまい、読む人に面白がってもらえないのは当然のことです。

口が多い、うるさい、けれどよく考えるとその人の話はつまらない、という人ほど、描く漫画はつまらないことになりがちです。
それだったら、無口あるいは口べたの方がマシです。
逆に、面白い漫画を描いて、なおかつよくしゃべるというタイプの人は、その人のしゃべる話も面白いのですよ。
この違いは紙一重ではありますが、大違いです。


      15 やせ我慢が出来ない

「これは相当ヤバい、命に関わるくらいにしんどいなあ」・・・と思うことがあったときに、やせ我慢ができるかどうか、ということです。

そうした時に、他者や外界に弱音をさらしてしまって、誰かに助けを求めることができてしまうなら、そういうことが出来る相手と、個人的な付き合いを確立して、好きな仕事を探して、生活を築き上げてゆけば良いのです。
その段階で、自分にとって漫画を描くことが大切なのか、それとも自分の心安らぐ生活が大切なのか、選択は終了しているはずです。

やせ我慢とは、本当に文字通り、食いはぐれそうになってでも我慢して、やりたいことを貫こうと思うかどうか、です。


      16 「こんなこと、漫画家になれるかどうかとは関係ないでしょ!?」と思ってしまう 口にしてしまう

ここまでに挙げてきたいろいろなことを読んで下さる中で、漫画家になれるかどうかとは、関係がないように思えることもあったかもしれません。
それに関しては自己検証して下さい。
本当に、関係ないですか?いま現在、自分が漫画家になれていないのは、いろいろ挙げた、こうした「自分自身のこと」が関係あるのではないですか?
もし、「関係ない」と言い切りたいなら、どうぞそれは、今からの生活と実績で実証してみて下さい。


      17 「わかってるよ そんなこと」と思ってしまう 口にしてしまう

本当に?
本当にわかってます?
そのことを自己検証するクセは、つけて下さい。
前項と同じく、いま現在、自分が漫画家になれていないのは、いろいろ挙げた、こうした「自分自身のクセ」が関係あるのではないですか?
「本当に」は、わかっていないから、今、まだ、漫画家ではないのではないですか?
もし、「わかってる」と言い切りたいなら、どうぞそれも、今からの生活と実績で実証してみて下さい。


      18 “載らないと死んでしまう、読んでもらえないと生きてゆけない” というわけではない人

ただ、「漫画家になれないで困っている」ことと、
「読んで欲しいものを読んでもらえなくて困っている」ことは、
大きな違いがあります。

前者は、実は、漫画家になることをあきらめても、他に生きて行く道を探せます。あるいは、今日も漫画家になれていないというのに、何とか生きています。
多分そのまま明日も。あさっても。10年後も。
動機も忘れてしまったのに、漫画家になりたいという気がしていたことだけは覚えていて、何となくその記憶に従って日々を生きて、日々を過ごし、漫画家になれなくて困っている人です。

後者は、漫画家になれていなくて困っていることの理由が、「読んで欲しいものを読んでもらえなくて困っている」という人です。
そういう人は、読んでもらうことでようやくエネルギーの循環が成立するので、漫画家になれないと本当に死に至ります。
死ぬわけにはいかないので死にもの狂いになるひとだけが、死ななければ漫画家になる。
そういうことです。


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