一色登希彦/ブログ 

一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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再録3「加藤大治郎選手のこと」(オリジナルのアップは2004年1月21日)

 それなりの時間が過ぎれば、少し冷静につづることも出来るかもしれない、と思っていましたが、そういうものでもないみたいです。
 「加藤大治郎」という名前をご存じない方はいますか?オートバイの世界選手権の最大排気量クラス/MOTO GPに出場していた選手です。2003年4月6日、世界選手権の開幕戦だった日本グランプリ、鈴鹿サーキットでの決勝レースにおいてクラッシュ、意識不明の重体のまま、4月20日未明に亡くなりました。ご本人のプロフィールや、事故の詳細等は、様々な所で触れることが出来ると思うので、ここではことさら詳しく述べることはしないでおきます。
 ただ、「今だ叶わない、“最大排気量クラスでの日本人初の世界チャンピオン”」に一番近い位置にいた人だと思っていただいて間違いないです。
 その実力が、世界チャンピオンを獲るに見合っていたし、彼の走りは観る物を引き寄せたし、またそれ以上に彼の人柄が多くの人を惹き付けていたのだなあ、と今思うと改めて解ります。そんな人です。
 



 GPに夢中になってからずっと(といっても10年程ですが)、鈴鹿サーキットでの日本グランプリは欠かさずに観に行っていました。冗談のように貧乏な時も、冗談のように締め切りが迫っていた時もずっと。
 2003年に限り、どうしても海外に出かける用事と重なってしまい、初めて鈴鹿行きをあきらめることにしました。ビデオの録画予約はしたけれど、可能なら出先のヨーロッパで生中継を観よう、と考えていました。ヨーロッパでは、鈴鹿のレースのライブ放送は早朝になります。
 その朝は、フランスのロアンヌという町の近くの、小さな町にいました。何とか朝早く起きて、「ユーロスポーツ」をつけると、MOTO GPの決勝レースが始まっていました。決勝レースの4周目に入ったばかりのようで、「良かった、間に合った」という感じでテレビを見始めたのです。
 今思えばそれは、テレビをつけたのは、大治郎の事故の映像がほんの一瞬だけ流れた、本当にその直後でした。
 やがて、何人かの選手が既に走っていないらしいとわかったこと、その中で「ああ大治郎も走っていないや」と思ったこと、しばらく後にサーキットを飛び立つヘリコプターが画面に映ったこと(誰かがシリアスなダメージを負ったことを意味します)、けれどレースは進行し、スケジュール通りに終了し、特にそれ以上の情報もないまま放送は終了し、何とも言えない違和感だけが残ってテレビを消しました。
 それから何日かの間にヨーロッパの各地で新聞を読んで行く中で、ようやく「大治郎が命に関わる重傷らしい」と理解しました。
 
 例年通りに鈴鹿サーキットに観戦に行っていたならば、どうたったろう?・・・と自問する所で、思考はいつも停止します。
 欠かさず観戦に行っていたのにこの年のレースに限り観に行かなかった。地球の反対側でのライブ放送のスイッチを入れたのさえ事故の一瞬あとだった。
 もちろん鈴鹿で生で観戦していても、僕は観客のひとりに過ぎないし、普通の意味での当事者たり得た訳ではありません。
 それでも、普通に(僕が)あるべきだった位置よりも、出来事から遠いのです。「遠ざけられた」、という感覚がよぎっては消え、します。
 
 僕は、「このことについて、考えることをやめない」ようにする為にこうなったのではないかと、自分で思うことにしていつも思考を再開します。
 
 オートバイの漫画を描いている為に、多くのホンダのライダーの皆さんと言葉を交わす貴重な機会に恵まれました。それは、「大治郎が生きていれば、間違いなく彼もここにいたはず」、といった場です。そこで聞かせてもらう大治郎の沢山のエピソードは、より彼を身近な存在として感じさせてくれます。なんだかまるで、皆で話しているそのテーブルに彼も居て、「ちょっとトイレに行ってきます」と言って席を離れているだけ、というみたいに。
 その、「あらかじめ失われている身近さ」と、「事故の瞬間に対する自分の遠さ」が、どうにも奇妙な感覚として残ります。それが、時間が過ぎる程に、薄れるどころかより強く心に根付いてくるのです。
 
 『モーティウ゛』の単行本第1巻の巻末に書いたように、加藤大治郎というスポーツ選手の死が、日本の中でこの程度の扱いでしかなかったことは、不幸で、不当です。オートバイそしてモータースポーツそして「スポーツ」が本当に根付いている国ならば、国葬レベルの衝撃に見舞われていたはずです。
 大治郎の死に関して、僕は個人的には「自分も死ぬまでオートバイに乗り続けよう」と決意することでひとつのくくりをつけることにしました。それは、あの出来事を僕は「大治郎は死ぬまでオートバイに乗り続けた」ということとして飲み込もうとしているからです。
 
 「このことについて、考えることをやめない」でい続けます。僕はこのコラムを読んでいただいている身である以上は、漫画家であるので、「大治郎の死という出来事」と「自分が漫画を描いている者であること」は無関係ではありません。
 大治郎を愛していた多くの身近な方が、それぞれの中に「今も生きているだいちゃん」を大切にしています。僕はもちろんそうしたあり方には遠く及ばないのだけれど、彼から確実に何かを「もらった」覚えがある身として、少なくともその分に報いることは忘れないようにしたいと思います。
 
 「加藤大治郎の死」を前にして、当たり前ですがもちろん悲しかったし、悔しかったし、怒ったし、虚しかったし。けれどもそうした「苦しさ」は、当然ながら僕などよりももっと近いかたが、より多く背負っていることです。
 だから僕は、「どうやって報いようか」「どうやってお返しをしようか」という思いだけを強く残し続けたいと考えるようにします。
 
 すでに二度と言葉を交わすことの叶わない人に報いるなんて、ものすごく大変なことだとは思うのだけれど。
 
 
 生前にそう呼んでいた/書いていたはずの呼び方にさせていただきました。加藤大治郎さんの関係者及びご家族の皆様には、失礼をお許しいただきたく存じます。
 

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