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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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再録4『電車の運転が雑になって行くのを何とかしろ委員会』設立の宣言(オリジナルのアップは2004年1月31日)

 誰も気付いていないのか、気付いているのに声を上げる人がいないのか、どちらにしても国家存亡に関わる程の由々しき事態と考え、ここに表明しようと思います。
 
 電車の運転が、雑に、下手に、ダメになってきている。
 
 主に発車と停車の際に感じることです。しっかり立っていてもよろけるくらいに、ガクンガクンと段階的に加速/減速がなされ、とてもじゃあないけど安心して立っていられない。
 最初は、その度に「下手な運転手の運転する車両に当たってしまったのだろう」と思うようにしていたのだが、体感的に、その頻度が増して来ている。また、特定の一社に限ったことかと思っていたが、そうでもないと感じる。
 



 ちょうど、クルマの運転が下手な人が、減速の際にブレーキを一定の踏力で踏むことをせず、ガクンガクンとなってゆく、あの感じ。あれはどちらかと言えば同乗者が難儀する。運転者はそれでも自分でブレーキを操作しているものだから、「ガクンガクン」のタイミングがわかって、自然に体が備えることをしていて、たいして不快には感じないで済んでいると思われる。
 
 この場合、ここには、「想像力の欠如」という重大で深刻な問題が含まれている。
 まず、「自分の運転が下手である」事を想像出来ていない。
 次に、「同乗者が不快を感じている」事を想像できていない。
 
クルマの運転が下手なことに関しては、想像力の問題と併せて、「オートマ車」の存在が関わっていると思われる。クルマの仕組みも多くを知らず、マニュアル車を運転する基礎技術も持たないまま、アクセルペダルやブレーキペダルを“オン/オフのスイッチ”くらいにしか考えずに操作をすれば、日本のお粗末な道路交通の出来上がり、ってなものだ。
 
 ともあれ、クルマならば、同乗者が酔ってゲロ吐いたりして、運転者が「何だよ車酔いしやすいタチかあ」などと「お前の運転だよお・ま・え・の!」とツッコミ入れたくなる事のたまったりしてまあ良いかくらいの(ホントは良くないけど、まあ最低限“個人の問題”で済ますかと思える線)もんだが。
 
 訴えたいのは、これと同じような問題が、公共の交通機関に生じているとしか思えない事。
 
 ひとつ考えたのは、オートマのクルマと同じように、新しい技術を導入した新型車両が、随分とオートマ化されていて、その自動制御のような加速/減速が随分と荒いのではないか、というもの。そう考えると、何やら「新しい車両」と思われる車両に乗った時程、そうした「雑な」加減速に見舞われているようにも思う(思いっきり印象評価)。電車にあまり詳しく無いので、メカニズムや運転の仕方等を詳しくは知らないのだが、あの「雑さ」は、「コンピューターが勝手に制御している雑さだ」と言われれば、妙に納得がいく。
 人間がやっている「雑さ」に感じられないのだ、どうにも。
 
 もっと恐ろしいのは、『人間がやっている「雑さ」に感じられない』という種類の「雑さ」を、実はやっぱり人間がやっていた、という場合。
 要するに運転技術が低下している。
 そんな運転をすると、乗客がどんなことになるか想像できていない。
 という事だったとしたら・・・。これはさらに様々な問題を内包している。
 
 運転技術が低下しているということは、運転技術を教育するシステムが駄目になってきている、ということだ。これは電鉄会社の人的組織が自浄作用を失って自家中毒の内部腐敗を起こしている可能性を示唆している。
 本当に指摘する通りに電車の運転が雑になっているのならば、まさか気付いているのが日本中で1人ということはあるまい。誰かが気付き、そのうちの誰かが電鉄会社に直接苦言を呈していて良い筈である。
 その窓口が「お客さま相談窓口」のようなものだとして、正常に企業集団として機能していれば、商品(サービス)の再検証を行い、指摘通りの不具合が発見されれば、問題点解消に努め、その為の責任の追及、必要ならば社員教育の再徹底といった対処を行う筈である。
 電鉄会社がそれをするだろうか。してくれることを望むが、一方、先に述べたような内部腐敗を起こしている組織だとしたら・・・。  「お客さま相談窓口」のような所の担当者がそのようなユーザーの声に触れ、電話を置くなりファクスを読み終えるなり手紙を封筒に戻すなり電子メールを閉じるなりした後、
 「やれやれまた虫の居所の悪かったお客からの感情的な苦情だったか・・・」
 
 として放置されてオシマイ、という絵も目に浮かぶ。
その声は、決して社内の然るべき場所まで届かず、従って雑な電車の運転が改善されることはない、となる。
 
 あなたの感じる不都合も、私の発する改善要望も、「そこに届けば改まる」という場所まで、決して、永遠に、届く事がない。
 しかも始末の悪い事に相手は「ご意見ご要望、いつでもウェルカムですよ」というおもて面を見せていたりする。
 構造的に「そこ」に「届かない」という自身の組織が抱えた絶望的欠陥には永遠に気付かないまま。
 
 「交通の在り方」は、その国/その社会の在り方を端的に明解に象徴する。
 (日本が目指していると思っている、と思われる)欧米の交通に比するなら、日本のそれはもう、かなり、みっともない。
 海外に行ってクルマで自走してみれば、その違いは体感出来る。運転技術、マナー/ルール、インフラ整備、明解な標識、何から何まで。
 その違いに目を見張る事を、「何でも海外にカブれて」というのならば、海外をうらやましがる事も真似する事もやめて、「日本はこうだ」と言えるモノを提示するべきなのだ。ヨコ道それたけど。
 
 「雑で下手で不快な運転の電車」が、公共交通として今日もゴトゴト日本を東京を臆面もなく走っているのは、「わが国日本はこんなにみっともない国でござい」とのたくって回っていることと同じように思えてもう、仕方がない。
 
 オートマ信仰。ずさんな操作技術。現場教育能力を失った大組織。無反応なユーザー。想像力の欠如が更なる欠如を呼ぶ。
 対応する企業も「聞き疲れて」しまっているのだろう。不馴れで未熟なユーザーもまた、「クレイマー」呼ばわりされても仕方のないような、感情的で言葉足らずのアプローチになってしまうのだろう。
 責任感も義務感も凛々しさも緊張感のカケラも無くなってしまった、この情けない半無限ループ、もういい加減に何とかならんか?!
 
 ・・・とまあ、そのような趣旨の元、ここに今高らかに、
『電車の運転が雑になって行くのを何とかしろ委員会』
 設立の宣言をするものである。
 
 初代委員長には不肖わたくし、一色が就任する事といたします。
 委員会の活動趣旨は、時間的/予算的/人的制約により、いまのところ「言いっぱなし」。
 委員会のスローガンは、「電車の運転が雑になって行くのを何とかしてくれ!」
 あ、すいません、あと、時間的/予算的/人的制約により今のところ、新たに委員を募る見通しも立っておりません。状況が変わりましたらまた、この場でお知らせしていこうと思います。
 
 とにかくホント頼むよ、電車!もう!!
(“アジテーション口調”は気持ちいいですねえ何だか。演説でウットリしちゃう人の気持ちが何となく解りました)
 

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