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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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「漫画家のなり方」10

第2章 「紙の雑誌に代わるもの」の可能性

本項の文章は、自分の経験と、見聞きしてきたことをもとにつづってアップの用意をしていたものですが、佐藤秀峰さんがご自身のウェブサイトで、同じ主旨の、よりリアルな話をさらに詳しく書いて下さっています。
「漫画制作日記」ページの、2009/3/28の「漫画貧乏」から始まる文章他で、読むことが出来ますので、どうぞご覧になって下さい。

前章で、仮説として紙の漫画雑誌の限界についてつづりました。
誤解の生じないように表明しておきたいのですが、本論執筆現時点で、「紙媒体」であることが限界であると考えるのは、「漫画雑誌」に関して、です。

漫画の単行本に関しては、紙の単行本であるべきだ、という立場です。
その、単行本に関しても、色々考えるべき点はあります。
そのことは後に機会を改めます。


   その1 「インターネット」「ウェブ」というシステムについて

新作漫画の発表の場としての紙の漫画雑誌が、今のあり方でいられなくなるとします。
それでも、新作漫画の発表の場は必要です。

どういう手段、どういう媒体が、それをできるのか?



この数年の間、既存の漫画出版社を始め、新規企業も含めて、試行錯誤しているように見えるのが、インターネット、ウェブ、そして携帯電話での閲覧も含めたコンピューターメディアで漫画を読んでもらう、という仕組みです。

今では、大手出版社や漫画雑誌で、ウェブサイトを構えていないところは珍しいはずです。
そしてさらに、ウェブサイトで、雑誌掲載作品や、あるいは新作を読めるように試みているところもあります。

そうした試みで出版社は、何を模索しているのでしょうか?
実際に聞いたところでは、出版社は、赤字の紙の雑誌を出すことなく、インターネットで漫画発表と経済的収入が確保できる形を見つけ出せば、そこへの移行も探りたいと考えてもいるようです。

そうした発想と、試行錯誤は、企業としては当然の試みです。

しかし、現時点で、大手出版社あるいは新規参入企業で、インターネットでの漫画新作発表とその課金収入でビジネスが成立しているところはないように見えます。
あるいは、社会的な評価として、
「漫画の発表と課金に関しては、もう、インターネットのビジネスモデルが成立しつつあるから、紙の雑誌は不要」
ということが言える状況では、まだありません。

理由は簡単なはずです。
ここまで紙の漫画雑誌を読んでいた読者さんが、紙の漫画雑誌と同じタイトル、同じ内容のものを、今のところアクセスの面倒なインターネットでの閲覧でわざわざ読んでみたいとは思わない、ということです。


   その2 既存の大企業がうまくいっていないようにみえるこ

最初にまず、ちょっと漫画とは違う話。
ここのところ自分は、「大企業」が作ってスーパーやコンビニエンスストアやファミリーレストランやファストフードで売っている「食べ物」が、食べ物に見えなくなってしまって、そして実際に、あまりそれらを食べたいとも思わなくなってしまって、最初は色々不便でした。

「工場で作られた大量生産品」が、口にして良い、あるいは美味しい食事であるように思えなくなってしまったのです。

それは、実際に体がそれらの「物質」を受け付けないのか、論理のレベルでそれらの「物質」を「食料」であると考えるべきではない、と規定しているのか、そのあたりはこわくて面倒で、あまり検証していません。
ただ、安すぎる大量生産品は、「食べ物」に限らず、そろそろ、「あやしい」と考える意識があっても良いだろう、と考えるのです。

例えばそうした「食」への意識を、どこまでつきつめるかは難しくて、考えすぎればストイックの極みに入り込んでしまいます。

けれど、そうした感覚と同じく、既存の企業や出版社が、インターネットに漫画をアップする、という見せ方は、どこかが「大量生産品としての、食料」と同じように見えるのです。

インターネットの本質が、国家や大企業のものではなく、個人的ツールであると自分は考えますが、そうしたことと関係があるでしょうか?

ですので、仮に、紙の雑誌が今までのようには存在しなくなってしまう時がやってくるとしても、既存の企業や出版社が、今までの雑誌モデルやビジネスモデルをそのままウェブに乗せ変えたような漫画の見せ方で、ここまでに紙の雑誌が果たしたこと以上のことが成立するかは、確信が持てません。

安すぎる大量生産品は、あやしい。

先に述べたこのことは、今や紙の漫画雑誌にもあてはまることです。
安すぎる雑誌制作コスト。
安すぎる原稿料。
そうしてでも作られ売られ続けてきたことが、限界にきているのです。
これは例えば、アニメーションの制作現場の話でも耳にすることです。
関わる者すべてが、熱情と必要のあまり、
「赤字でもなんでも、今はとにかく良いものを創って、世に出すんだ」
と、勢い込んで始めてしまい、前例となって続けられていたことのツケが回ってきているのです。

そうしたことを知らずに、あとからのこのこ入ってきた者は大変です。

入ってきた人の方が逆に真っ当な経済原則の観念を持っているのかも知れないのに、
「貧乏は根性で吹き飛ばせ」
などと言われ、その不条理に異議申し立てをすると、
「未熟なクセに余計なことを考えるな」
と言われかねないのです。
経済原則としておかしいことだと指摘していることが、
「お前自身が未熟で無能である」という逆ギレに論理のすり替えをされる構造が、確実に根付いています。

そうしたことのツケが、限界に来ているのです。

出版社が模索している「ウェブ漫画」は、どこか、この「安すぎる大量生産品」の気風が感じられるまま、あるいはここまでのそうした今や「負の遺産」といえる考え方とシステムをそのまま再検証しないまま持ち込もうとしています。
なので、今のところ、それでも紙の雑誌が読まれているほどには、「ウェブ漫画」は、関心を得ていないのです。

関わる人は皆、わかっているのでしょうか?わかっていて、まあいいやと口にしていないだけなのでしょうか?
それともこうしたことを誰もわかっていないのでしょうか?
こうしたことをきちんと言語化して表明しているものに、まだ、ほとんど出会ったことがありません。


   その3 インターネットは個人のメディア そして漫画も

それでは、紙の漫画雑誌が成立しにくく、ウェブ上での出版社の新展開も、紙の漫画雑誌ほどの意味をなさないとしたら、漫画の発表の場、漫画がお金になって、漫画家が、原稿料と呼ばれていた制作費にあたる「対価」を手に出来る環境は、どうすれば手に入るのか、という課題が残り続けます。

前項で述べたように、インターネットは、それ自体大きな「システム」でありながら、政府や大企業といった「既存システム」のものでなく、本質的に個人のツールです。

そして、漫画もまた、これだけ成熟して、一般化して、今や世界中に読み手が存在する中で、それでも、ハリウッドの映画が「システム」であるみたいには「マス」なメディアではなく、本質的には「個人的な」メディアです。
多くの、本物の文字の本が個人的メディアであり、テレビは違うけれどラジオは個人的メディアであるのと同じように。

息づかいや、呼吸や、体温や、個人的な引っ掻き傷のようなものが有効な表現手段なのです。
送り手と受け手が、同じ地平に立てる可能性が強く残っているメディアなのです。

自分が、漫画を好きで、漫画を描き続けていたいと思う、それがひとつの大きな漫画の魅力です。

ただ、未来永劫、今後も漫画が、ぎりぎりのところで個人的メディアであるのか、そうであるべきなのかは、少し後に論を譲ります。

そのようなわけで、個人的ツールである漫画の味方をしていたはずの出版社の持っていた「漫画雑誌」というツールが、いちど、携帯電話やそれに付随するインターネットという個人的ツールにステージをさらわれてしまった以上、既存企業や出版社が、既存の考え方のまま、「漫画雑誌の夢よもう一度」と祈りつつ、インターネットでの漫画を始めても、紙の漫画雑誌が見せてくれた夢は、かなえられないはずです。

漫画が個人のメディアなのだということで、それではインターネットに、自分で作品をアップする、ということは、現在でも可能です。
アマチュアとして、タダで漫画作品を読んでもらうという限りでなら。

ただ、それでは、プロとして漫画を発表することで対価を得て、生計を立ててゆく、という希望とは断絶したままです。

そこから1段進んで、例えば企業によらず、個人が自分でネットにアップして、読者さんが作品を見てくれることに自ら課金でき、支払いをしてもらうシステムが出来上がり、生計を立ててゆく可能性が成立したとしましょう。

どうでしょう?
それが成立したとして、それは、理想的なシステムですか?
そうしたシステムが仮に主流になったとして、今まで無意識に編集者や出版社や、そうした「外部」に頼っていた様々なことを、自身で背負って、漫画を描いて、その漫画が売れるも売れないも、すべて自分で負う覚悟をできるかどうか?

その際は、先に書いたように、雑誌・編集者の要請する締め切りがありません。プレッシャーが無くなってよいことかと思いきや、そうとも言えず、作品アップの時間的管理を自前で行わなくてはなりません。

また、これも先述の通り、締め切りのプレッシャーの圧によって、個々の漫画作品、ひいては漫画雑誌に込められていた「熱」は、この先どのように引き出されるのか?

そうした課題が、多々、残ります。

また、前章で列挙したような、漫画を作り上げるための、机の作業以外の多くの作業、そして感情的な側面を始め、いままであまり考えることもなく様々な局面で編集者に甘えていたり泣き言を言ったりできていたことも、やはりそうした相手がいなくなります。
本当に独立自律して、受け手である読者さんとのダイレクトなやりとりになります。

理想的な自由ですが、相当にシビアな荒野に身を置く状況になります。

「紙の雑誌に変わるもの」として仮説を述べられることは、今の時点では自分にはここまでです。
けれど、何かが起こりうるし、変化するはずです。
それは、驚くほどに目に見えて急激な変化かもしれないし、あとから振り返ってようやくそれが変化だったと気付くくらいにゆるやかな変化かもしれません。
けれど、こうしたことに自覚的でいた方がよいです。

本来は、本論は、もっと個別論的な、「漫画家のなり方」のつもりで書き始めました。
ただ、今、「漫画家になる」と望むなら、すでに今漫画家である人は言うに及ばず、これから漫画家になろうと考えている方にとって、ここに述べる総論的でいちばん新しい問題に、もっとも自覚的であるべきだと考え、この冒頭の章を書いています。

いっそうシビアな荒野の出現が、目前にあるはずです。

そうした荒野が出現することを予感するので、願わくは今後10年通用するくらいの、漫画家志望者への一助となる「漫画家のなり方」を書きつづっておきたいと考えたのです。


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| 長期シリーズ/「漫画家のなり方」 | 16:02 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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