一色登希彦/ブログ 

一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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再録6「ダービージョッキー」完結の御礼(オリジナルのアップは2004年12月22日)

  このコラムの日付、2004年12月22日(水)発売の『週刊ヤングサンデー』4・5合併号の第241話をもって、「ダービージョッキー」、完結となりました。
 
 読者のみなさま、歴代の担当編集さま、『週刊ヤングサンデー』編集部のみなさま/小学館のみなさま、「ロデオドライブ」歴代スーパースタッフのみなさま、友人知人家族のみなさま、たくさんの漫画家のみなさま、本当にありがとうございました。
 あわせて、同じ著作側ではありますが、原案に名を連ねて下さった武豊騎手、構成の工藤晋さん、ありがとうございました。



 「どんなレースに出てどう勝つか」というレースの際の話の大枠以外、細かい設定やストーリーやドラマ、キャラクター作りや台詞回し等は普通に漫画が作られる形に近い形で寛容にほとんど全てを漫画家と編集者にお任せいただけました(最初戸惑ったのですが)。そのことが、ここまで続いてしっかり終わることが出来た大きな要因だと思っています。“こう描けば、武さんなら「これですよ!」って言ってくれるのではないか”と、そんなことを思いながら描けたのは、大きかったです。
 
 完結、です。多くのみなさまに支えられたおかげなので、「漫画家」として自慢出来ることはほとんどない(反省しなきゃイケナイことは沢山ある)のですが、唯一、「終わらせようとして終わらせられた」ことを、少しだけ誇っていたい、と思っています。  不本意に打ち切りを宣告されるでも無く、終わりたいのに終わらせられないという事態にもはまらず(まあ、大ヒットに届かなかったというそれだけのことかも知れないのですが)、僕にとっての長編漫画の理想の一つである、「ちゃんと始まって、ちゃんと広がって、ちゃんと作者の熱が入ったまま、お話が終わる」、をどうにか形に出来た、と思っています。
 
 少し長くなりますが、改めてお礼を書き連ねさせて下さい。
 
 
 読者のみなさま。
 
 連載途中からは、インターネット及びEメールというツールにも助けられ、文字通り皆様の声に支えられて「ダービージョッキー」は続いてきました。いただいたメールを軽く読み返してみたのですが、その数のあまりの多さと、しっかりと連ねられたご意見/ご感想の言葉の重さに、改めて驚きました。自信となり、励まされ、「誰に向けて描いているのか」を、常に忘れることなく描き続けて行くことが出来ました。特に10巻くらいまでの作品前半は、間違いなく皆さんの声がなければそこで終わっていた、という危機が、今だから言えますが何度か確実にありました。すべての方にしっかりとしたお返事を差し上げられずにごめんなさい。
 インターネット上でもウェブページ等で様々な形で作品を紹介/推薦/批評をいただきました。時に、「ダービー~」の作品タイトルや作者名等が、僕の好きな漫画作品や漫画家さんと並べて書かれていたりすると、随分と嬉しかったです。
 
 ありがとうございました。
 
 
 歴代の担当編集さま、『週刊ヤングサンデー』編集部のみなさま/小学館のみなさま、「ロデオドライブ」歴代スーパースタッフのみなさま。
 一本の漫画が一週間に一度生み出される、というのは、奇跡のようなことだと思います。わずかなキャリアながら、それでも年月を重ねれば重ねるほど、ますますそのように感じます。
 
 歴代の担当編集さま。初代担当氏は、文字通り「ダービージョッキー」をこの世に送り出して下さいました。右も左もわからない、頭でっかちで口ばかり回るような(このあたりは今もあまり変わらないらしい)ペーペーの漫画描きを常に鷹揚に導いて下さり、この作品の基礎部分が出来上がってゆく段階を見守って下さいました。「菊花賞編」が、初代担当氏と生み出した中での集大成的な出来です。
 二代目担当氏は、任期が短かった!担当作品を抱えすぎて、あっという間に他所に行ってしまいました。彼が、作品と漫画家に与えてくれた「もっと・・」「もっと・・」という「圧」のようなものは、「ダービー~」の「枠」を押し拡げる役を果たしてくれました。「相馬一人」というキャラクターの誕生そして「川崎競馬編」が、二代目担当氏との大収穫です。
 三代目担当氏が、結局最終回までの長いお付き合いになりました。単行本でいうと第11巻始めから、最終巻まで、ということになります。途中からの担当であったにも関わらず、漫画家以上に「ダービー~」の物語に生きる人物たちを愛して下さり、僕は「打ち合わせの席上から漫画が生まれてくる」という瞬間を何度も味わいました(正しくは、そんなことは以前からあったと思うのですが、おそらくは僕が未熟だった為に気付く余裕がなかったのです)。毎回の打ち合わせが大変楽しみでした。「完璧な編集者」なんているわけありませんが(「完璧な漫画家」もね)、三代目担当氏は僕と「ダービー~」にとっては、間違いなく「なくてはならない存在」になりました。何度か交代の可能性があったところを、わがままを言って「最後までやってくれ」とお願いしてきました。うまくいったエピソードも、ちょいと失敗、のエピソードもあるのですが、作品は常に「人間を描く/その為にお話が語られる」という姿勢を保ち続けられました。それが三代目担当氏と果たせた一番の成果です。
 11巻以降はそんな訳で、思い入れの大きなエピソードばかりなのですが、第12巻のハッピーゴーラッキと宮崎権三調教師のエピソードは、三代目担当氏とのやり取りがあってこそ生まれ得た気がします。続く13巻が真田騎手を軸に大変ヘビーなエピソードに転調するのですが、そうした落差の「波乗り」を安心して出来るかどうかは、仕事のパートナーとしての編集者の力量に負うところが大きいのです。
 
 「週刊ヤングサンデー」編集部のみなさま。そして小学館のみなさま。編集部をうろちょろし続ける僕をいつも見てみぬふりで放っておいていただきました。編集部のすぐ隣には、パーティションで仕切られた打ち合わせ用のブースがあり、そこで随分とネーム(絵コンテ/漫画の下書きの下書きのようなものです)をやらせていただきました。いや、すいません・・、はかどるので。一時期「あいつは何日間小学館に住んでいるんだ!」という悪評もいただいたようですが、すぐ脇のブースでは、女性の漫画家さんが僕よりも長い間「住んで」いて、居なくなったと思ったら服を着替えて戻ってきたりして、「俺なんかまだ可愛い方だよな・・」とおもいました。だってペン入れとかスクリーントーン貼りとかしてたよ、あのひとたち!今をときめく、「あんな人」や「あんな人」たちでしたが。
 「編集部の一日」をはたで見せていただけたおかげで、当たり前ですが、一本の漫画は実に沢山の人によって支えられて世に送り出されてくるのだなあ、と実感しました。
 
 「ロデオドライブ」歴代スタッフのみなさま。週刊で漫画を描く以上、一人でそれをこなすことは不可能で、多くのみなさんにお手伝いいただくことでようやく原稿が出来上がります。僕も、多くの漫画家さんがそうおっしゃるように、信じられないくらい素晴らしいスタッフに恵まれ続け、「こんなに楽しくて良いのか?」と毎回思いながら日々漫画を描くことが出来ています。質/量ともに、みなさんの仕事は敬服すべきものです。いまのところ原則として、来て下さる方には「漫画家になりたいという意志をもつひと」という条件を付しているので、全員が「人の作品の手伝いをしながら自分の漫画を描く」、という状況にあります。それは時に、ひっくり返りそうなくらい(本当に内蔵がひっくり返りそうなくらい)に大変なことです。僕もかつてそうした立場であったので理解はしているつもりなのですが、しばしば自分のことで一杯になり、みなさんがどれだけ貴重な作業をしてくれているかを忘れてしまうことも多いです。心から、みなさんの日々の努力が報われ、夢が叶うことを祈ります。
 
 ありがとうございました。
 
 
 友人知人家族のみなさま
 
 社会人として責任ある立派な大人になってゆく皆を見るにつけ、どんどんへっぽこなままの自分が情けなくなってゆく時期は長かったです。「生涯忘れ得ぬあの日々」を共有した皆がしっかりと日々を生きてゆく姿が、「自分も頑張らねば」と、本当に単純にそう思わせてくれました。漫画家としての生活を始めることが出来たとき、皆が喜んでくれたことがうれしかったです。
 実務的感謝では、友人のひとり、てらしま君。競馬のことを全く知らないといって慌ててレクチャーを受けに飛んで行った僕に、イチからひもといて教えてくれました。いや、ビックリしたよねあの時は。もう六年も前か?!
 人の親になってゆく友人も多く、そうした姿を見るにつけ、なんと尊いそして大変なことをしているのだろうと思います。彼らのなすことに比べると、よほどしっかりした漫画を生み出さない限り、かないようがないなあ、と今でもおもいます。「ダービージョッキー」という一個の漫画を生み育てている間ずっと、ライバルは人の親、とりわけ母親となって人を生み育て、日々戦うかつての若き(失礼)すてきな貴女たちでした。
 同じ意味に於いて、一番身近な「人の親」、自身の父と母、そして家族にも。どのようにしたらこの恩を返すことができるのか、歳を重ねるほどにその重さを実感します。
 「ダービージョッキー」という漫画そのもののライバルは、漫画と時期を同じくしてこの世に生まれた小さな大切な友人、あかねちゃん。君が沢山の人を笑顔にしながらみるみる大きくなってゆく間、「ダービージョッキー」はどれくらいのひとに同じようなことが出来るだろう・・・。そう思いながらこの5年間を過ごしてきました。もう来年小学校!?沢山ともだちできるといいね!!そうそう、おはなしの中のヒロインに、君の名前をもらいまいた。おかげさまでそのコも幸せになりましたよ。
 そして日々の生活に於いては、自分という人間にとって、かけがえのない宝物です。毎日の喜怒哀楽を一緒に生きていってくれるあなたに。
 
 ありがとうございました。
 
 
 たくさんの漫画家のみなさま
 
 僕を知って、言葉をかけて下さった、話を聞かせて下さったすべての漫画家さんに。
 映画や音楽や小説やお芝居や、スポーツや、その他あらゆる「表現」に属することのなかで、僕はいくつかの理由で「漫画が一番スゴい、自分も漫画を作る側になりたい」とおもい至るようになりました。
 ずいぶんと沢山の漫画家さんに、お話を聞かせていただき、相談に乗っていただき、アドバイスをもらい、またときにはご迷惑もおかけしました。同じ時期にプロとして活動を始め、励まし合ってきた作家さん。同じ時期に漫画家を目指す中で出会い、毎日のように一晩中漫画の話をして、ケンカして、アタマに来てはまたネームを描き直し見てもらい、批評し合って、競争し合ってきた皆。
 もらった言葉のひとつひとつが、自分の血肉になっていることを感じます。
 「師匠」にあたる方には、どう考えてもその存在なしでは今の自分はあり得ず、どのようにすれば「恩返し」を出来るのか・・・を心に留めて仕事をし続けるだけで一生が終わってしまいそうな・・・。このことに関しては、また改めて。
 
 ありがとうございました。
 
 
 一晩中の漫画談義の時代にはデニーズやロイホ、週刊連載を始めてからは一層の気分転換/エネルギーの補充の為、また「プロとはこういうものだ」ということを見せてくれた沢山のおいしい食べ物のお店。おいしいケーキのお店。
 ピンチの時はいつでも脳みそをすごいスピードでかき回してくれる、小さいのから大きいのまで、愛すべきオートバイたちと、そのオートバイに関して大切なケアとアドバイスを下さる、ショップのみなさま。
 おはなしを聞かせて下さった沢山のプロスポーツ選手のみなさま。あらゆるジャンルのプロフェッショナルのみなさま。
 当ウェブサイト「ロデオドライブライブ」を作って下さった、サイメンさま/ウメハラさま。
 いつも迷いのない存在理由とピカピカのボディーで、疲れた僕を「おつかれさまっ!」と迎えてくれる、エビスビール。
 
 ありがとうございました。
 
 
 初の週刊誌連載(掲載回数の決まっていた短期集中連載をのぞいて)でここまでの長い間作品を続けられたのは、こうした多くの方のおかげです。ありがとうございました。
 とりわけ筆頭にあげた読者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。しあわせな五年間でした。
 
 今後も漫画を描き続ける限り、届けたいと思うのは、ひとりひとりのたくさんの「あなた」に向けてです。この形容矛盾の言い回しを可能にしてくれる。それが、僕が漫画という表現を選んだ大きな理由のひとつです。
 
 最後に、「ダービージョッキー」においての、僕の仕事になる部分は、両親に捧げます。
 とにかくやり遂げる意志と、ものつくる手を与えてくれた、父と、母に、尽きない感謝とともに。
 
 さあ次は、どんな話を描こうかなあ・・・?

 

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