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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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#8 祝完結!/「エピソード3」がもたらすもの

 今さらですが、早くしないとDVDも出てしまうらしいので、「スターウォーズ エピソード3」の感想を僕も書き連ねたいと思います。
 「スターウォーズ」シリーズとしては、久しぶりに、何回も映画館に足を運びました。実は「エピソード1」と「エピソード2」は、試写会に行かせていいただける機会に恵まれ、けれどその試写会っきりでした。



 何回も観に行ったことからもおわかりの通り、ひとことで言うと「良かった」です。

 頭では、今回の「エピソード3」が、実際に世に出た第1作である「エピソード4」(公開当時はただ、「スターウォーズ」というタイトルだった)につながる話である、とわかっていたつもり、そして、概ね「どんな話か」もわかっていたつもりでした。

 が、映画のラストまで見終わってのちに、自分が予想以上の感触にひたっていました。その感触の正体を明確に言語化出来ている批評は、あまり見かけません。
 もちろんそんなこと僕にも出来ないのですが、そこはどれだけ格の違いがあろうともジョージ ルーカスさんの側の末席に身を置いているつもりの者として(併せて「スターウォーズ」に人生を動かされたひとりとして)、思考してみたいことです。

 僕を含めて、「スターウォーズ」になじんで来た複数の知人が、今回「エピソード3」を観た後で、他のエピソードを何回も見直したと聞きました。
 多くの「作り話」が、世に出るそばから消費され、飽きられ、忘れられ、運良く人の記憶に残ってもパロディーや笑い話のネタにされてしまう、そのスピードが恐ろしい速さで加速してゆく中で、この「スターウォーズ」の揺るがぬ強さは奇跡のようです。
 なにしろ、ずいぶんと評判の悪かった(らしい)「エピソード1」や「エピソード2」達さえも、「3」を見終わった後には別の意味と価値をもって再度・再々度、鑑賞/消費される、そのことが驚きです。

 四半世紀前に最初の「スターウォーズ」が世に出た事の意味を、当時おそらくジョージ ルーカスさんもまだ正しくは理解していなかったと思います。けれど僕はどこかのメディアに当時ルーカスさんがコメントしていた事がとても印象に残っています。
 確か、「いずれかの将来に、コンピューターグラフィックによって映画が制作される時代がくる。俳優でさえもCGが関わるようになる」といった趣旨のコメントでした。そのコメントに対するメディアの論評は、概ね「また何を寝言言っているのか」という論調だったように思います。なにしろコンピュータでどんな映画が作られていたかと言うと、「トロン」とかもう話にもならんモノ(ごめん)がようやく数年後に出て来たような時代だったのです。
 世の中に黒電話しかなかった時代に、どのようにひとり1台携帯電話/そしてインターネットなどという未来予想が出来るのでしょう。

 四半世紀後の今、全6作が世に出たことが何を意味するのか、同じようにジョージ ルーカスさんさえまだわかっていないような気がします。意識の奥底の方で識ってはいるとしても。

 僕は、「おはなしの語られかた」が大きな変化を迫られる、と感じています。

 多分ハリウッド映画に一番強固に・類型的に見られるような
「5W1Hを明確に示した、誰がどんな風にどうなったか、というストーリー作り」
は、古い「語りかたのひとつ」に居場所を定め直すことになるのではないでしょうか。
 「おはなし」は、時系列も、空間描写も、登場人物の感情へのスポットの当てかた、比喩の使い方や寓話的描写への照らしかたも、もっと自由な語られかたがあるのだということを、ジョージ ルーカスさんは示してくれたのではないかと感じています。
 もっと「おはなし」の「らせん」を描いて良いし、もっと「入れ子」の「世界」を描いて良い。
 「あなたの話」は常に「自分の話」なのだということから逃れられないことを受け入れつつ、それを「どこかの話」として語りきる事の覚悟。

 そして、「悪を語る必要」をしっかりと踏まえ、それを描いてみせた。
 まんが雑誌からよく言われる、「気持ちのいい話を描いてくれ、悪いやつが主人公なんてとんでもない」という言い回しがどこかに吹っ飛ぶような。

 よそで語られているかはわかりませんが、この「エピソード3」は、「9・11」の後の世界を意識的に語ったストーリーだと思います。
 それは、よく言われる「アナキンのあり方や台詞が、アメリカやジョージブッシュの・・・」といったわかりやすい比喩のレベルではなく、
 「9・11の後の世界で、どのようにストーリーテリングを続けるか」
という難しい問いへの、ひとつの、凛とした強い答えのように思うのです。

 権力の行使者が「世界には、白と黒しかないのだ」というビジョンを強要し、その上で「さあどっちにつく?」と脅かしてくる。それはまるで出来の悪い詐欺師のやり方以下なのですが、そうしたやり口にメディアや「語る仕事をする者」がどんどん汲みさせられやすくなっているなかで、
 「世界はそんな風には出来ていないのだ」というレベルから話を語る事の難しさと大切さ、それが
 「9・11の後の世界で、どのようにストーリーテリングを続けるか」というテーマの難しさと大切さなのです。

 作品の細かいディテイルへの突っ込みならばいくらでも挙げる事が出来るでしょう。
 僕も他の多くの感想と同様に、「アナキンがダークサイドに転じる瞬間の描写の詰めの甘さ」は、気になりました。
 しかし一方で「ならば自分ならどのように描くのか/あなたならどのように描けるのか」と問うたときに、あの流れ以外にあるのだろうか、と思います。
 「単純な裏切りや怒りでダークサイドに堕ちた訳ではない、愛している(と思っている)自分の心ゆえなのだ」という確信を揺るがさなかったルーカスさんを、僕は支持したいです。
 もしかしたらルーカスさんも「あそこの描写の詰めの甘さ」はもう気付いているかもしれないな、とも思います。あの人の事だから、きっと後に出る「特別編」のようなバージョンで、そうした所にはより完璧に手を入れるかも知れない、と思います。

 もう、「揚げ足取り」に時間と知識と金を費やし「自身は何も語らない」ことに安穏とするのは、やめにしないか?

 第1作として世に出た「エピソード4」が、世界に対してどのような意味を持っていたかがわかるのはずいぶん経ってからでした。
 同じく今回の「全6話完結」がわれわれ「語る人」にどのような影響をもたらしたのかが本当にわかるようになるのは、もうしばらく後のように思います。
 でも、僕にはボンヤリとですが、それがどのようなものか確信があります。

 ジョージ ルーカスさんに、ありがとう、おつかれさま、と伝えたいです。

 ・・・さて、ここまでで締めればそれなりに綻びのないコラムになる、と思いつつ、実はどうしても腑に落ちない思いがあります。
 同じくらい、スピルバーグの「宇宙戦争」はこんにち的に重要なものを描ききった、と僕は感じているのですが、このあんまりな評価の低さはいったい・・・???
 先日も本屋さんで買い物をしていたら、脇に居たカワイイおねえさんふたりが、
 「あー宇宙戦争だっけ、観たよ」
 「どうだったー?」
 「いやもうつまんない、ぜんっぜん」

 ・・・「面白かった」と言ってくれる方、募集中です。しくしく。

 
 

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