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【『シン・ゴジラ』観た】

(観たいけどまだ観ていない、何もまだ知りたくない、というかたは、読まないでください)
個人的なやり取りの事も含めて書くので、総監督の庵野さんから「消しなされ」との要請があったら、削除や訂正をする場合があります。
そして、自分から庵野さんへの個人的な『シン・ゴジラ』の感想を兼ねる文章となるように書こうと思う。

観ました。
引き込まれながら観ました。
よく作りなさった!

「庵野秀明の映画」になっていました。
1年ほど前に庵野さんは、僕との個人的なメールのやり取りの中で、作っているさなかのゴジラを、「(人間ドラマは描かないで)事象中心に描く」
と伝えてくれました。
僕はその時(「そんなモノを日本映画の枠組みの中でどうやって作るのよ!?」と思いつつ)「もしも本当に庵野さんがそう言っている通りに作るなら、凄いものが出来るかも!」と期待して、その旨を返信しました。
いっぽうで多大な危惧もあった。

庵野さんとの何度かのやり取りの日付けから推測して、僕の知る限りの常識的な映画製作期間と照らし合わせて、どう考えても製作期間が十分ではないように見えた。
そして、上のやり取りから遡って、この映画の企画のごく初期に、庵野さんから「何か感想あったら…」との助言の要請とともに見せてもらった企画内容が、あんまりなものだったことがある。
僕は、
「お粗末です。あんまりです。現実舐めてませんか?このプロット。」
という旨の感想を伝えました。(僕には僕なりの、それくらいを伝える筋合いがあったので)

同時に、庵野さんと庵野さんの家族の、個人的な幸福への心配を伝えました。
庵野さん本人が公言している通り、「エヴァQ」の完成と引き換えに庵野さんは精神に多大なダメージを負ったし、パートナーのモヨコさんもそれ以前に同様に休業を宣言している。
僕は、東京で生活していた最後の時期、夫妻に、様々な面で助けてもらっている。彼らが創作を続けることで傷つき続けるのだとしたら、僕は個人的にはもう創作してくれないで良いと思っていた。
ファンとしてではなく、友人としてそのことを伝えたかった。

「エヴァQ」みたいなもの作って、精神的に参ってしまって、自他ともに「それすらもクリエイターの業である」みたいな人生を引き受け続けるので、これからも本当に良いんですか?」
「そういうのが続くんなら、もう一線から退いて、「庵野秀明:監修」みたいなアイテムの監修とか楽しんで余生を暮らす方が良いと思います。庵野さんが不幸になり続けるなら、エヴァの続編とかも投げ出してくれて良いです」
といった主旨のことを伝えた。
(庵野さんとモヨコさんがどのような返事をくださったかは、多くの人が読む文章としてこれを書いているので、その点は伏せます。)

そんなわけで、作品の出来への心配は多大にありました。
エヴァは(「Q」も含めて)大ヒットしていたけれど、「庵野秀明の実写映画」は、ここまで実際には大ヒット大評価な作品はないわけだから。

おまけに、加えて、今回は公開日の数日前くらいになって、庵野さんからの手紙付きで映画の鑑賞券まで送られて来てしまった。今までこんなことなかったのに。
「え!?なになに!?!?俺にまで動員かけなきゃならないほど、前評判がよろしくないの???」とか思っちゃったわけです。どれだけ心が汚れてんだよ。ごめんなさい。
「いい出来になったと思うんで、色々評判を耳にする前に、どうぞ観てください」というメッセージだったんですね。ホントにすみませんでした。

観ました『シン・ゴジラ』。
いや、もう、よく作りなさった!
誰が観てもいい映画になっているし、誰が観ても「良い悪い」「好き嫌い」を言える映画になっていると思います。

僕が危惧したいくつかの事柄は、後から語られる「制作の裏話」を見聞きするに、
1)製作期間の不足に関しては、製作手法そのものを構築し直す(プリヴィズという)ことで克服した。
2)内容の至らなさに関しては、その後、庵野さん本人がひとりで全面的に脚本を書き直し、制作にも総監督として関わることでクオリティの担保を行った。
3)”『エヴァQ』の挫折の再現の心配”に関しては・・・
この点が、思い返しても改めて強く述べておきたいことなのだけど、庵野さんは、『エヴァQ』では「3.11」を飲み込みきれなくて吐き戻してしまったのだと思う(その時にほぼ同時進行で作られていた宮崎駿さんの『風立ちぬ』がブレずに(というかおそらく強固さを増して)完成したのとは、対照的だった)。
『シン・ゴジラ』では、「3.11」を飲み込んで自分の体の中に落とし込みきった。
だからこそ、映画に出てきた巨大な生物はその「3.11」の火焔を吐き戻し、臨界を超えて光線になって、「何故かまだ倒壊していない街」を「実際に倒壊させる」ことができたのだ。

過去の僕を含めて、そして庵野さんたちや多くを含めて、戦後に生まれた人の「文化的合言葉」は、「自分たちには、コアになる大きな出来事が何もない」「言いたいことは何もない、ということが、言いたいこと」「何をやっても何かのコピーになってしまう」といったことだった。
「何もない僕たち」は、「戦争と敗戦と戦後」というコアを背負った人々(黒澤さんであり、円谷さんであり、岡本さんであり、本田(猪四郎さんや宗一郎さん)さんであり、大林さんであり、手塚さんであり、松本さんであり、富野さんであり、高畑・宮崎さんであり)が作ってきたものを享受していくのだけど、自分たちが作る番になって、「自分たちには何もない」ということの重大さに気がつき始めるのでした。
架空のコアとして、「1999年の夏には全てが終わる」というのを共有してしのいできたのだけど(本当にそうなんですよ)、もちろん世界が終わるわけはなかった。

最初の「エヴァンゲリオン」のテレビシリーズの開始は、あの思い出すのも不気味な、1995年。
展開してゆくシリーズの終盤に向けて庵野さんは、
「「「語ることは何もない」ということを語りきる」ということを語りきる」ということをk・・・という表現を貫き切って、表現行為の受け渡しの矢面に立ってブッ壊れた。
1999年が過ぎても世界が滅びずの、21世紀が来ちゃってその代わりみたいにテレビの向こうでニューヨークの高層ビルが崩れ落ちるのを見て「こんな世界がゆっくり継続するのか」と我々が思い知ったあと、長いインターバルのあとの、新劇ヱヴァの『序』『破』は、借り物のどこかで見たことのある(てか自分の過去作)ストーリーだけど、そしてロクなことのない世の中だけど、それでもひとりの男の子が、手の中に小さな成果を掴み取る、という弱々しいけれど確実なストーリーが、圧倒的な映像表現のバックアップを受けて小さな声で語られていた。
僕は『序』『破』が大好きでした。
拙版『日本沈没』を庵野さんがことのほか面白がってくれて、色々と良くしてくれたのもこの時期とシンクロしていて、それは僕はただ偶然だった訳ではないと思っています。
その微かな「語り」の成功は、しかし、3.11が起きたことによって、多分制作の緒にあった『Q』で吹き飛んでしまったのだと思う。『Q』の出だしは、今見返しても、面白いし素晴らしい。多分その直後の展開のあたりで、全部吹き飛んだのだと想像します。
宮﨑監督の『紅の豚』が、90年の東西崩壊からのユーゴスラビア内戦という地獄を受けて、失語からの駄作になってしまったのと同様に(駄作なのに面白く観ることが出来るのでタチが悪い)、3.11を吐き戻してしまった庵野さんがどうにか形にした『Q』の失語地獄は、見ているこっちも皆がたちどころに鬱のスイッチが入ってしまうかというくらいに、どうしようもない作品になってしまった。

が、『Q』ののち、吐き戻しちゃった「3.11」という「戦争と敗戦と戦後」に匹敵する大きな出来事を、あらためて飲み込み切って、少なくとも庵野秀明という人の中にコアが作られてしまったのだと思う。
そうでなければ、『シン・ゴジラ』のあの、迷いも無ければ衒いも照れも自虐もない、驚くほど明瞭なキレの映画を作ることは叶わなかったと思う。
「何もないということを語る」でもなく、借り物ストーリーだけど「ありふれた微かな成長を語ってみる」でもなく、「だって俺、これ、見て来たことなんだもん」と迷いも何もなくただ正直に綴られたのが『シン・ゴジラ』です。

クリエイターとしての達成度(作品の完成度)と、クリエイターの個人的な幸福なんて、そうそう一致するものではないかもしれない。けれど、『シン・ゴジラ』は、鑑賞者にも意味のあるインパクトを強く残し、作った本人も本人なりの幸福と充実感をもって終えられたのではないか…と、僕は、幾つかの根拠から推測しています。
庵野さんが、庵野さんなりにようやく現実に着地した。作品という窓を通して、多数のお客さんと正しく多数の一対一対応が成立した。そういう映画を作れたのだと思います。僕はそう解釈します。
それが間違いではないと良いなと思いながら、そのことに、「おめでとうございます」と伝えたいです。
「よくこれだけのモノを描いた」「よくこれだけ踏み込んだ内容を盛り込んだ」という種類の感想が視野に入ってもいるのですが、その点に関しては、「どうにか現実の尻尾を逃さず捕まえた」という、トップクリエイターとしてならば当然の力量を、あんまり褒めそやしたいものでは無いです。
とても感銘を受けましたが、そのことを「驚き」みたいには表明したくない。

僕は僕なりの筋合いで、そんな風に伝えておきたいです。
おつかれさまでした。

次はたぶん、 『シン・エヴァ』にかかるんですよね?

ただただ、それを作り終えた時に、庵野さんと庵野さんの家族が幸福でいることを、変わらず望みます。

(2018/8/14にリライト)

付記
/庵野夫妻とのやり取りは、もうひとつ、僕が東京を離れる際に、
「東京で生活して創作し続ける資格」
に関して書き伝えたことがあって、それはまた少し長い話になるので別の場所に書きたい。
ただ、僕は、東京を離れるかどうか考えるにあたって、
「東京でクリエイションを続ける資格」
を自問した時に、あ、もう自分には資格がないなと観念した。
東京で生活を続ける人々である、例えば庵野夫妻は、
「東京でクリエイションを続ける資格」
を更新し続けているわけです。
僕の、自分への判断と、他者である友人への判断は、大きく外れてはいなかったと思うけれど、「都市で生きる資格」を自問しない数多の人々によって、都市そのもの(とその裏地である田舎すべて)が瓦解に向かっているのは、ご覧のとおりです。

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/その3 喜んで席を譲る連載作家はいません サバイバルだぜ

/その4 速く たくさん 描くことでしか手に入らないことがある

/その5 描きたいペース 描きたいスタイル


/その6 プロになって そののち10年後もプロでありたいかどうか

/その7 死守するものを定める


/その8 雑誌の枠内やジャンルの枠内で作風をつくってしまう危険について


第11章 プロになりたいと思う かどうか

/その1 自分の「名」で「生き死に」をしようと思うかどうか

/その2 「エンターテインメント」の、日本語訳 わかりますか?


/その3 読み手のために漫画に仕えることと それが自分のためであることの一致

/その4 不安なのは、みな、同じです


~インターミッション 4~

/その5 アシスタントについて またはプロ以前の時代について

/その6 “漫画家のアシスタント”は “不本意”だが“みじめ”ではない


/その7 付記 漫画家がアシスタントに手伝ってもらうということ


第12章 アシスタントの日々になすべきことについて

/その1 生きてその仕事場を出る


/その2 ものを考えましょう 人に自分を委ねてはならない

~インターミッション5 おすすめ文献 さらに~
/一冊目 「人体のしくみ」
/二冊目 「ブックデザイン」
/三冊目 「デザインの自然学」


/その3 いちど自分のいままでのスタイルがすべて崩れます ビックリしないように

/その4 モノとお金以外のすべてを盗む

/その5 漫画家さんの振る舞いの全ては参考になる とにかく学ぶ

/その6 他者の作品制作に全霊で仕え、力は使い切り、しかし疲れずに帰る

/その7 漫画/漫画雑誌をたくさん読む 好き嫌いや批判を脇において

/その8 仕事場で我を出さない 感情で仕事場の空気を揺らさない その仕事場の空気はタダじゃねえぞ

/その9 自分の不満の表明のためにふてくされてはならない

/その10 人の漫画の手伝いをして、漫画を描いた気にならないようにする

/その11 仕事の合間は「お休み」ではないです 漫画を描く 描く準備をする

/その12 月に2本以上ネームを描いてください

/その13 漫画家は、ホームを通過する特急電車 アシスタントはホームに立つ人

/その14「引き出しを増やす」のウソ 脳の「インプット」と「アウトプット」について

/その15 代案を出せて初めて「批判」と言える

/その16 否定の言葉でしゃべらない タメ息などつかない しゃべりすぎて気持ちよくなっちゃったらいけない

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/その19 編集者/雑誌/読み手をバカにした時点で、バカは自分です

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/その23 アシスタント時代に太ったりやせたり眠れなくなったり腰痛になったり 心や体を悪くしている場合ではないです

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/その27 「プロのアシスタント」について

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