一色登希彦/ブログ 

一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

「3.11以後に通用する物語」。

 「誰もが話を聞いてほしがっている」…その意味

過日、興味深い話を妻から聞いた。

伝え聞きなのでニュアンスは変化しているかもしれないけれど、妻から聞いたその話
「石巻に行ってきた担当編集さんが話してくれたこと」
の断片は印象的だった。

編集さんがおっしゃること。
「石巻。被災地現地の人たちは、誰もが「話を聞いてほしがっている」ように感じた。実際に話を聞くと、話し始めてほどなく泣き出してしまうお婆ちゃんもいて・・・」


この1年間、自分が漠然と感じていたひとつの仮説がある。
「震災と原発事故のあと、みんな、ますます今までの漫画を必要としなくなって、読まなくなってしまったのではないか?」

先の編集さんの個人的経験のお話を伝え聞いた時、その話は、自分の仮説と通底していて、繋がっている事として理解出来た気がした。

 3.11以降、人はそれ以前の「物語」に意味を感じない

(さきに「漫画」と書いたけれど、これは、映画、小説・・・といった「物語」とほぼ同義です。以後「物語」と記します。)
「震災と原発事故のあと、みんな、ますます今までの物語を必要としなくなって、読まなくなってしまったのではないか?」

被災地の多くの人が、「話を聞いてほしがっている」様子だった。
伝え聞いたこのイメージは、自分の中で言葉にならないままだったことを掘り起こした。

今、本当に重要な「物語」は、現実に被災地に居る人たちの中に存在している。
個々の人の中、被災地にいる人々の共有する無意識のフタの奥、深く広く暗く重く、腑分けされないまま満ち満ちているのではないか?

人が、語られない「物語」を抱えている事は苦しい。
だから「物語」は、個人や、人々の共通無意識から掘り起こされて、語られることを待っている。

「物語」の作り手・語り手が、その現実に対応出来ていないのではないか?
そうしているうちに、この1年の現実に対応しないままの旧い「物語」は、必要とされなくなって来ているのではないか?

書き手としての自分は、昨年来、どのような「物語」を書くべきか逡巡している。
いっぽう、読み手としての自分は、今までと同じ作られ方をしている「物語」に、自分でも驚くほど興味がなくなってしまった。

もしも「物語」が必要とされなくなっているのなら、それは、
「だって現実の方がすごいから」
ではなく、
「だって今の現実に対応した「物語」が少ないから」
ではないか。

誰もが最新の出来事に見舞われたあとに「話を聞いてほしがっている」時に、旧い作り方の「作り話」を読みたがる人が多くいるだろうか?

現実に対応出来る「物語」を作る為に、作り手は、自分の中の「人間観」を更新する必要がある。
その時に思い出す本がある。
村上春樹さんの「アンダーグラウンド」だ。

アンダーグラウンド (講談社文庫)アンダーグラウンド (講談社文庫)
(1999/02/03)
村上 春樹

商品詳細を見る


 村上春樹「アンダーグラウンド」の意味

知っている人も多いと思うけれど、「アンダーグラウンド」は、オウム教団が起こした地下鉄サリンテロの多くの被害者に村上春樹さんが行ったインタビュー集だ。

当時の個人的感触では、村上さんのこの仕事は、不可解あるいはスルー、ことによると否定的反応も少なくなかった印象がある。

80年代には、数多くの「新しい世代の小説家」と括られる作家がいて、「村上春樹」もその括りに入っていた。
マスな数字的要請を満たすという意味での日本の小説家(つまり日本を代表する「誰もが知っている作家」)として、当時から今に至るも残っているのは村上春樹さんだけだと思う。

なぜ彼だけが残っているのか?
それは、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きた1995年に、日本の社会と人々が大きく舵を切ってしまった時に、多くのマスな小説家の中で、彼だけが自分の中にある「(「物語」のベースとなる)人間観」を、現実に即してアップデートしたからだ。
「アンダーグラウンド」は、その為のフィールドワークだった。
阪神大震災とオウム教団事件が起こってしまった後の世界に通用する「物語」を書く為に、現実の人間の中に眠って消え去るあるいは固化してしまう前に人々の中から「物語」を掘り起こしてくる作業だった。

村上さんは事あるごとに「阪神大震災」と「オウム教団事件」にこだわり続けていることを表明していた。
以後の村上さんの小説は、それら1995年の出来事を踏まえてどのような「物語」を作るか、の試行錯誤だった。
それらが大きく結実した2009年の「1Q84」は、今読み返せば3.11以後も読まれる強度を持った物語だとわかる。

「元の世界」と「月がふたつあるもうひとつの世界」に分たれてしまった、1984年の日本。

「1Q84」の「世界観」が、今の日本にオーヴァーラップすることは偶然ではない。
村上さんが「1995年」にこだわり続け、おそらく噛み砕ききった末に出来上がった物語と、「1995年」を過去に押し流して自分のこととして受け入れることをしなかったように見える日本の社会が見舞われた「2011年以後」が似ているのは、偶然ではない。
「陰謀論」などではないよ。
作者が、既存の現実を噛み砕き切った末に浮上して来る最新版の「人間への眼差し」と「予感」で書かれる「物語」が、未来の現実に肉薄するのだ。
(宮崎駿さんが「風の谷のナウシカ」で描いた世界が、「2011年以後」の日本に現前してしまったことも偶然ではないように。)

「村上春樹」とともに多く居た、マスな意味での日本の小説家が、1995年の出来事のあとに何もしてこなかった、と言っているわけではない。
多くの書き手が、どのように考え、どのように現実と向き合い、どのように書こうか、迷い、苦しみ、試行錯誤したに決まっている。
でも残らなかった(「マスな意味での日本の小説家」・・・という意味において。念のため。)

意識的だったかもしれない彼ら多くの小説家は、
「自分は、何を見て・・・どのように考えて・・・何を書けば・・・?」
と、主語を自分に置いて、自分をアップデートしようとしていたように見える。
(もちろんそうした多くの作家に進歩も変化もあった。だから今もファンが付くし、価値ある作家として活躍を続けている。)

村上春樹さんは、自身の中の「個々の物語の主語たる人間」観をアップデートしたように見える。
主語を「無数の他者」に置いた眼差しに立ったように見える。
主語たる「作家の中に住む人間たち」が最新だから、都度、新しい世界に耐える「物語」になる。

 「物語」の意味

村上春樹さんは「多くの、理性的で、日本の社会を担うべき人々が、たやすくオウム教団に取り込まれた。それはなぜか?」という主旨の自問に対してこう仮説している。
「我々の社会が提示する物語よりも、麻原彰晃が提示する物語の強度が勝っていた」と。

これは、「作り話の作り手」「語り手」としては、屈辱的な現実だと思う。

9.11後の世界においては、
「アメリカの、世界を記述する物語の強度が支配した」

そして3.11後の世界においては、いかに
「原発を容認しなければ幸せになり得ない、という物語」が強固だったかを思い知る。

向こう側に持っていかれない物語。
いや、向こう側を相対化する物語。

さて自分は出来ているだろうか?・・・という問いになる。
「2011年」を経て、多くの書き手の、多くの「物語」はアップデートされているだろうか?・・・という問いになる。

1995年から1年程度の間に、誰の描く「物語」が生き残り、誰の描く「物語」が通用しなくなるか・・・なんて予測は不可能だった。
同じように、2011年から先、この数年間、通用しなくなる「物語」は多々あるだろう。

今までのように描かれた「物語」はあまり用をなさない。
被災地に居る、生身の人が、「話を聞いて欲しがっているように見えた」という言葉を聞いて直感的にそう思う。


このエントリーの要旨は、誰の作品が残るか、あるいは自分自身が残るかどうか・・・そこではない。

3.11のあとのこの日本に通用する「物語」、必要な「物語」が不足している。
そのことを深刻だと感じている。
「物語」が掘り起こされない事、語られない事、人に伝わらないこと。
それは人の精神、社会の健全に深刻な影響を為すと感じている。
自分が述べたいとしたら、その点だ。

物語が共有されなければ、言葉が通じなくなる。
社会の繋がりは弱く、元々あるはずの陰鬱さだけが滲み出てくる。
そうした瀬戸際のように思う。

「こんな話を読みたかった、見たかったんだ!」・・・と言ってもらえる「物語」を。

| 漫画のこと | 14:21 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

TRACKBACK URL

http://toki55.blog10.fc2.com/tb.php/298-d5e02261

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。