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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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さよなら九段下ビル



九段下ビルの解体が決定的になり、解体が進んでいるようです。自分の為に書き綴っておきます。


九段下ビルとは、その名の通り、東京の九段下にある建物です。

Wikipedia←こちらで簡単な概要は見ていただければと。

関東大震災の後、「震災復興建築」として建てられた建物です。

僕は、2000年代はじめの数年間、この建物の一室を借りて、仕事場にしていました。
(トップの写真でいうと右下の部屋。3階建てですので、その2階部分になります)
場所が九段下だけあって、小学館や集英社が目と鼻の先で、原稿の受け渡しや打ち合わせには最適でした。
「ダービージョッキー」や「モーティヴ」の一番大事なノリの部分の多くは、この場所で描かれたものです。

九段下ビルに思い入れを持つ理由はいくつもあります。

そのひとつは、関東大震災の教訓を踏まえ、全損した木造家屋の権利者たちが簡単ではない合意に達し、共同で耐震性のある鉄筋コンクリートの近代的な建物を建てた・・・という歴史を持っている事。
強固な設計は東京大空襲に耐え、もちろん昨年3月の震災の揺れにもびくともしなかった。

またひとつの理由は、建物の末期であった、自分が入居した時でさえ、「建物そのものの持つ力」に浴することが出来たこと。
このビルに入居して仕事をすることがものすごく楽しかった。

またひとつは、この建物に自分を導いてくれて、そして九段下ビル最後の住人ともなった画家の大西信之さんの存在でした。
大西さんが語ってくれた、この建物の魅力と歴史、そして「古いものの良さ」「古いものを大切にすることの意味」は、漫画家としての経験値を蓄積していた時期の自分にとって多大な示唆に富んでいた。

建物にこだわった理由のひとつとして、大きくネガティヴな側面からの要因は、入居時からすでに、地上げ屋(本当に地上げ屋と呼ぶしかない)によって建物自体が存続の危機に晒されていた事もあります。
その地上げ屋によって、よりによって東北大震災の起きた昨年に、九段下ビルの80年あまりの命運は断たれてしまった。

地上げ屋の所行そのものに、人道を外れる行為が多々あったことをここで書ききる事は難しいですし、詮無い事です。
ただそれは、奇しくも福島原発の人災事故で日本の多大な国土を喪わしめた大電力会社が反省のそぶりも見せずにのうのうと存在し続ける事と、今となっては同一線上のイメージにかぶります。

人が生活する基盤を、搦め捕っては安っぽいものに更新し、そこから金の流れだけを作って、枯れるまで持って行く。

九段下ビルが存続すると良いなと思っていたのは、
「そういう空しい「経済」は、もう、少しやめにして、古くから残った良いものを丁寧に使って、新しいものと併せて行くような、そういう成熟した生活思想に移行してもいいのではないかな・・・???」
というささやかな願いと重ね合わせてのことでした。

思い入れが募り、九段下ビルを舞台にした漫画を綴りたいと考えて実現したのが、この「九段坂下クロニクル」というアンソロジー単行本です。



老朽化、震災によって解体せざるをえず・・・といったことが流布もしましたが、まったく事実と異なります。
塩分のない川砂を使った質の良い鉄筋コンクリートは、80年経ってもびくともしておらず、おそらくこの先100年でも200年でも持っただろうと思います。
ヨーロッパの街が、古い建物を大事に大事にメンテナンスして、何世代にも渡って使い続けるように、この九段下ビルは使えたはずです。

九段下ビルが存続して、大事にされるような国になるなら、日本は良い国になるだろうな・・・

そんなことを、自分は入居時から漠然と思っていました。

では、存続しないようなら・・・?

その答えを自分は昨年まで保留にしたままでした。
そして、311が起こり、その同じ年に、九段下ビルの解体が決まった。

僕には一連の事柄が同一線上に並んで見える。

昨年3月以来の国土大量喪失、健康被害、経済的大打撃を受けて、この小さい国が今まで通りでいられると考える方がどうかしている。
自営業者でも会社の経営者でも何でもいいけど、「経営」に少しでも触れた事がある人ならば、こんな国の経営があと数十年、健全に続くわけがないことはわかるはずだ。

けれどきっと、経営が危うい大会社の社員は、ほとんど全員が「ウチの会社がまさかそんな」とさえも思わずに、危機への意識もないままに給料に与り続けるだけなのだろう。


今は、自分のビジョンは明瞭だ。

九段下ビルが存続しないような社会だったので、この国もこのままでは危ういだろう。

九段下ビルに入居したとき、わずかなコストで備品をしつらえるだけで、
「良い場所に入居していい気持ちで仕事をしている自分」という環境を手に入れる事が出来た。
他の建物でそのような環境を手に入れるには、家一軒買う、マンション一戸買う、というレベルの出費が必要だろう。
日本の社会はそれをするように求めて来た。
家一軒しつらえてこそ、一人前の社会人、という観念を押し付けて来た。

ウソだ。

以前からあるものの価値を維持し続け、良いものを大事に引き継いで行けば、もっと理にかなうコストで良い環境は手に入った。

それでは都合の悪い連中がたくさんいて、壊しては作って売りつけ・・・ということを繰り返してきたのだ。

九段下ビルの存続の行方はだから、この国、この社会が、どういったあり方を選ぼうとするのか・・・?の指標であるように感じながら、動静を見守って来た。

先にこの世界から姿を消すこの建物より、もう少しだけ生きてみて、こうした自分の思いがどこまで当たってどこまで外れるのか、見届けてみたい。


さよなら九段下ビル。


下の二枚の写真は、ネット上で見つけて持ち主さんに無理を言って頂戴したものです。自分が入居中の2003年頃の写真。イラク戦争が始まってしまった時に、イタリア中で掲げられていた「PACE(平和)」旗を当地で買って帰って来て掲げていたもの(なつかしい)。

DSCF0380.jpg

DSCF0381.jpg

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