一色登希彦/ブログ 

一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

反論求む→「もう誰も漫画家を育てない」

仕事を始めてしまうと正月の感じが吹き飛びますね。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今、描き始めている漫画は、自分が漫画家志望/漫画家デビューという時期を過ごしていた10数年前~そしてそれ以前を思い起こす作業を伴うものです。
当時を思い起こし、そして今に思いを致して、漫画と漫画家を取り巻く状況を思うと、愕然とします。

中でも、もう誰も漫画家を育てる気がなくなっているのではないか、ということを強く思います。


漫画を含め、出版の状況や著者の権利や在り方を巡って、たくさんの議論ややり取りを目にする事も出来るようになりました。
けれど、どれだけ議論が豊富になろうと、漫画に限らず、「描き手/書き手/作り手」に成りたい人が、目指すポジションにある程度効率良く到達できるようでないと、そのジャンルは廃れます。

さいわいにも(なのかな?)、まだ、漫画を描きたい、漫画家になりたい、という人はいます。
けれど、10年前20年前と比べて今は、漫画家に成りたい人にとって、漫画家になることが極めて難しいと思います。
いくつもの理由があります。

1)漫画表現や内容が多様になり複雑精緻になってきていて、技術の習得や伝授の難易度が上がってきている
2)新人に与えられる雑誌の枠が少なくなって、デビューの機会や修練の機会が激減している
3)編集者や編集部や出版社が新人育成/養成へのノウハウや興味や熱意を失った
4)漫画家志望者自身がこれらの環境悪化や状況悪化に無自覚

1)に関しては、「漫画の現場」である漫画家の仕事場において大きく感じることです。
スタッフとして来てくれる新人さんや志望者さんに、一般論のつもりで技術を伝授しようとしても、好みも技法も多彩になってしまっていて、なかなか「自分の作品の向上にダイレクトに役立つ事」として受け取ってもらえにくい。
その伝えにくさは、話作りにおいても、絵作りにおいても。

かといって、では、編集者が「現代の漫画の描き方」を知っていて、それを前提に新人の漫画力を向上させていけるかというと、それも期待出来ません。
「俺も昔は漫画描いていたから本当は今でも描けるんだけどね」などという編集者は論外ですが(いるんすよ)、10年前20年前であればまだ、漫画原稿がどのように作られていたかを詳しく知っている編集者も少なくありませんでした。
本当にいざとなれば、(そういうことがあるべきではないのだけれど)ベタ塗りやトーン貼りの手伝いをお願いする事は出来たし、新人の原稿を見て、「プロの作家さんの画の仕上げの突き詰め方と、君の甘さの違いはこういう所にある」と指摘する事は出来ていました。

けれど今、編集者は、漫画の原稿がどのような手間とノウハウで出来ているのか、知りません。
デジタル化もその状況に拍車をかけています。
編集者はもう、締め切り間近の漫画家の仕事場に上がり込んでも、手伝えません。
何よりも、漫画原稿を手渡しすることも少なくなりました。
「紙の漫画原稿」の割合は、少なくなる事はあっても、もはや多くはならないはずです。

基本の、漫画の基礎言語や文法は変わらないのですが、物語手法もコマ割りも描き込みも絵柄の多彩さも爛熟しているので、お互いに何が基礎なのかを共通認識して、そこから構造を作り上げて、細部の検討に至るという打ち合わせに辿り着く事は難しくなっています。

技術の問題に触れにくくなっているのだとしたらなおさら、新人漫画家や漫画家志望者を、最低限安定した人格も含めて1人前の商業漫画家になるまで付き合うには、超一流のカウンセラーやスポーツコーチの能力が必要です。

プロスポーツ選手は、本人の才能努力だけでは成立しない。
最低でも、優秀なコーチが必要。
それと同様だと思います。

そして編集者にそれを求めるには、本当に忙しいのか要領が悪いのかはわからないけれど、彼らは忙し過ぎるので、それを期待する事は難しいです。

その重要性と特殊性が、ついにこんにちまで放置されたままだったのだと思います。

始めから、運も良く、頭も良く、自分で道を切り開く事が出来る人だけがプロ漫画家に成れば良いということなら話は続けられませんが、僕は、裾野が広くなくて結構、とは思えない。


2)新人に与えられる雑誌の枠が少なくなって、デビューの機会や修練の機会が激減しているーーーーー
に関しては、出版不況の流行り文句で語られる通りです。
漫画雑誌は、「増刊」を設けて、新人の作品を募り、掲載し、そのサイクルから新人を育て上げることをしてきました。
それは、雑誌や出版社に体力があった時に出来ていた事で、雑誌の売り上げが横ばいや右肩下がりになってくると真っ先に切り捨てや縮小されるものです。
新人掲載枠があれば、そこに例えばネームコンペの形で競争が生じ、モチベーションも持てる。
次の項とかぶりますが、編集者とのやり取りもその掲載枠を狙って共闘することで熱を帯びてきます。
デスクや編集長への根回しの案配やタイミングだって、時には必要なんです。
どうやったら載るか、という、作品の質以外の商売のセンスや勘を身に付ける事も必要なんです。
「あの掲載枠を勝ち得てやる」という意思と試行錯誤、そこから産まれるものは多い。
新人掲載枠が激減した事は、印象論ではなく、間違いのないことです。


3)編集者や編集部や出版社が新人育成や養成へのノウハウや興味や熱意を失ったーーーーー
このことは、編集者に責任を帰すには酷であるとは思います。多大な同情を伴う。
状況1)と状況2)から派していることでもあります。
編集者が目をかけた新人や志望者がいるとして、その新人を、作品掲載まで持っていき、さらに次の作品を掲載し、連載を起こし・・・という所まで「育てた」「成功体験」を持っている編集者が、昔と比してどれくらいいるでしょうか?
漫画原稿がどのように作られているか、ネームをどうやって割るか、という実学もなく、「このネームは推したい」という力作が新人からもたらされたとしても、所属する編集部の雑誌のどこにも「掲載枠」はなく。
そうした状況で、その繰り返しで、編集者に、新人を育てる熱意がなくなっても、新人をがっかりさせてしまったとしても、編集者を責める事は筋違いかもしれません。

けれど、来月も給料をもらえる編集者とは違って、編集者にぞんざいに扱われた新人の落ち込みようは、補償が効きません。
打ち合わせの末に描き上げた原稿を、新人賞に回すと言って、預かられ、新人は結果を必死の思いで待つわけです。
ところが、なかなか結果が知らされない。連絡も来ない。
これは、何の賞にも入らず、落ちたのかなあ・・・それなら担当も連絡をしづらいだろうな、など、考える。
携帯に連絡しても、出ない。
そろそろ結果が出るはずなのにと思って、ある時その雑誌を発売日にコンビニで見てみると、新人賞の発表が載っていて、そこに、自分の作品が「賞」を獲って、記事として載っている。
ようやく、というか、記事の載った号の発売日を過ぎると、編集者と連絡が取れる。
「そんなわけで今回はダメだったけれど・・・」という話を聞かされる。

そんなことをされて、それでも「そうか!しょうがないまた頑張ろう!次は何を描こう!」と自分を何度も奮い立たせられる人しか漫画家を目指してはいけない、ということなら、そりゃ、みんな他の仕事を目指そうとも思いますがな。

あるいは、「これは載る。良い出来だから載る。自分が責任取るから」と言う編集者がいますが、載らなかった時に取れる責任はないわけです。

あるいは、それでも読み切りが雑誌に載った時に、さらにアンケートの結果が良かったというのに、何ヶ月も経った後に、「そういえばあの時の読み切りのアンケート、結果まあまあだったよ」と言われても。
少年ジャンプの真似したアンケートが、何の役にも立っていないなら、なんのためのアンケートなのか。

「いや俺は育ててる」
「ウチはやれてる」
と言う方、のことは申していません。
お気になさらず。
やれていらっしゃるのだから、良いのです。

それが出来ていない編集者や編集部や、雑誌の総量や割合が増えていて、決壊寸前に見える、という話ですので。

状況1)状況2)から派して、新人を育てるモチベーションを失った状況3)の編集者が、レギュラーの連載作品の仕事以外にもっとも力を入れる作業があります。
すでに実力が身について面白い漫画を他誌に発表し始めた「有望な新人作家」を素早く見つけ、連絡をし、自分の雑誌に呼び入れることです。
新人を育てるノウハウとコスト、ゼロ。上手くいけば最大効率の仕事となります。
志望者が、そうした作業にエネルギーを注ぐ編集者に気に入られ、付き合いを続けるのは、簡単ではない状況です。

これらに関しは、少しだけ「昔は違った」という実感があります。
ほんっとに自分が右も左もわからなかった時代に、今や漫画好きなら誰もが知っている名物編集者や、かの雑誌の編集長となっている人が、心を尽くして自分の未熟な漫画を面白くすることに時間を割いてもらった覚えがあります。
手紙をくれた編集者もいます。
それは、コピーであって、沢山の「担当している新人」に送る、ときちんと断りを書いた上で、
「あなたたちが、多くの新人の中から抜け出るには、他の人より多く、ネームを描いて、編集者に連絡を下さい。印象を残して下さい。同じ実力なら、印象の残っている人を思い出します。それが、時間が限られている人間に過ぎない編集者というものです。連絡をくれることを、何も迷惑とは思わない。」
とあって、励ましてくれました。
僕は、そうした励ましを、バカみたいに真に受けて、ありがたがり、モチベーションに変えて、日々を過ごしていました。
「進めば結果は出るんだ」と思えた。
挙げればキリがないけれど、編集者の「新人へのケア」の質は、間違いなく変質しています。


そして
4)漫画家志望者自身がこれらの環境悪化や状況悪化に無自覚ーーーーー
も、志望者さんや新人さんには罪無きことです。
「昔は良かった。こうだった」と語りかけても、「そうは言っても今は今だし」ね。

漫画家は、もしも他になれそうなものがあるなら、目指さない方が良いかも知れないよ。
でも漫画描いて皆に読んでもらってお金いただいて、それで生きて行くしかない、そうでないと死んじゃう、という感じの人は、頑張ろう!
それ「必死」てことだから、死なない限り道は開けるかも知れない。


ちょっと素直さと頭の良さと読みやすさを著しく欠いた文章だけど、自分もそんな人の事を思いながら、超長文を書きました。
漫画家のなりかた

もしかしたらこれは、考えながら読めば漫画を描くことにプラスになるかも知れない、という文献をおすすめしてもいます。
おすすめ文献


前々項のエントリー
「ウェブリオグラフィ」夢想
にて僕は、
「誰ももう、町の個人商店としての本屋さんのことを考えていないのではないか?」と書きました。

同じように、2011年、誰ももう、漫画家に成りたい人のことをもう考えていないのではないかと感じています。

「反論求む」と書いたのは、
「そんなことない、状況は良いよ、良くなっているよ」という現実がどこかにあるなら、自分も知りたい、という思いも込めています。

でも、どんな状況でも漫画を描きたい、漫画家になりたい、と言うかた、頑張りましょう。
ほんのひとっかけらでも、僕も皆さんに何か手渡せるものがないかな、と思っているし、それは、多くの作家さんや編集さんが思っていることでもある。
それが、効率良く必要な相手に伝わりにくくなっていることに無念を感じているものです。

本年もよろしくお願いいたします。

| 漫画のこと | 21:04 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

TRACKBACK URL

http://toki55.blog10.fc2.com/tb.php/233-b1b13d2c

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。