一色登希彦/ブログ 

一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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「非実在」が懐かしい

承前)東京都青少年健全育成条例関連の諸々

春の、1度目の騒ぎの際に、徳間書店さんから出た本に、自分もアンケート回答の形で寄稿させていただいています。



自分がそこに寄稿した文章を引用しつつ、連ねます。


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一色登希彦/回答
(読みやすさの意図で文章構成の手直しもしています)

質問(2)今回の改正案に対して、どう思っていらっしゃいますか? [反対 ・ 賛成 ・ 現時点ではわからない]

反対


質問(3)問2の回答について、その理由をお答えください。 文字数は500字を目処にお願いいたします。

改めて改正案を読み返すと、論理の飛躍とすり替えなどは「わかって」いて、確信犯的にこの文言を作成させた人たちが居ることがわかります。
当然ですが実体のない不穏な「空気」が自然にこの改正案を作成したわけではなく、「強い意図と意思を持った人(たち)」が存在するはずです。
その人たちは、あくまで現実に立脚して司法や立法や行政に携わる立場の分際で、ぬけぬけと「自分の作り話」を現実の中に組み込もうとしている。
力のある「作り話」を作るのは、本来「こちら」の仕事です。
彼らはそこに踏み込んできた。
職業的に馬鹿にされています。
「文筆」や「表現」であろうと政治的な事柄や現実からはがれてしまうと、このように他所のプロから馬鹿にされることになる。
そのことが腹立たしい。
自分がこの改正案に反対する時、「こちら」側の技術の劣化や意識の低さや無自覚を同時に省みることは欠かせません。
この条例の成立程度で描かなくなったり描けなくなったりする「表現」なら、多分、そんな「表現」はもともと毒にも薬にもならない、無くても良いものだと同時に思います。
自分は「表現出来なくなる」ので反対なのではなく、「踏み込まれ、馬鹿にされ、なめられている」ことが嫌で反対しています。


質問(4)ご自身の創作・表現・評論活動で気をつけていることはどんなことでしょう?

つくるものが、現実の中に組み込まれて機能しうる「作り話」であることです。


質問(5)この条例が成立した場合、ご自身の活動にどんな影響が生じると思いますか?

ご質問の意図であろう直接的な意味での影響は無いと思います。
問3でお答えしたように、これで影響が生じる程度の表現しか出来ていなかったのなら、もうこの職業は辞めます。
長期的/間接的には、自分もそれなりの誇りを持って末席に居ると思っている「表現の場」がいっそう馬鹿にされ、なめられ、それと無関係ではなく、ここから先の自分たちの住む世界がつまらないことになっていくのかもしれないと思います。
イヤなことですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上が、今年の4月に自分が連ねた文章です。

この時に否決(継続審議か)された条例案が、再度提出され、この数日で可決される見込みとなっているのが、今、ここ、です。

条例案を作り上げたのがどういう人間たちかということを、
「強い意図と意思を持った人たち」
「あくまで現実に立脚して司法や立法や行政に携わる立場」
と今思えばずいぶん遠慮した書きかたをしています。
いまでもまだ、
「天下り警察官僚が(条例成立の)手柄を立てて出戻るため」
という真相に驚かれる方がいます。

結局、相手が何者なのかという見定めと手強さをなめていた。

敵を、「都知事」だと思って揶揄してクサしてガス抜きしてしまってなかったか(自分もだわ)。

「表現は揺らがない」というその時の表明も、ほんの少し、甘かったと思い返しています。
これほど彼らが本気なのだとしたら、それは、自分の「表現力」もゆらぐかも知れない。

口があいてふさがらないので、何から書いたら良いのかもわからなくなっているけれど、これを、

「法律による検閲だ」

と、明瞭に声が上がらない感じになってしまっているのはどういうことなのだろう?
すでに、何かに萎縮して、言い切ることがはばかられるの?

販売規制であって、表現規制ではない、とかそういうこと?
過去の歴史上の「検閲」も、そのようにして言い訳をまといながら検閲していたのではないの?
かつての時代の「検閲」が、「これから検閲をする時代をはじめます」などと言って検閲を始めたのだろうか?

この条例案が、「(事実上)警察からの立案」であることを考えたら、
先行きに色々な想像を巡らせて良いはずです。
天下っていた警察官僚が出戻るための手土産にこしらえたなら、
これは「手柄」としての雇用創出なのだから、
警察が新たなお仕事を手にすることができる法律なのでしょ?

国の憲法/法律を変えるまでもなく、首都の条例を変えるだけで最大限の効果を計算出来たのだから、
効率のよいお仕事、見事な手土産です。

検閲で、警察のお仕事が増える、となればね。もう。



仕事の必要もあって最近、それでも人並み以下だけど「戦前」(それから遡って「明治」「幕末」とかも)のことをほんの少し知ろうと思って調べたり知ったりしていった。

思ったのは、「戦前」なんて区別、しない方がいいと思う、ということ。
現代と地続きだという感覚が無くなってしまうから。
そして、「もう戦後だもんね」とか言って振り返れる気がするから「あの頃のおそろしい検閲」とか
言える気がするけれど、「戦前」に、その「戦前」の時代を、暗く、恐ろしい時代だと考えていた
人はいなかったことが、ちょっとひもとき直せばすぐにわかる。

「おいおいこんなことしていたら日本は恐ろしいことになって、終いには戦争になってしまうよ」と、
あの時代、誰もが危惧していた暗い時代だったわけではない。

皆、普通に、浮き沈みしながら怒ったり喜んだりして日々を過ごしていたのだ。

「○○○○法」みたいな新法が、まさか「検閲」に繋がり、「拷問」に繋がり、ということになるとは、
誰も思わなかったはず。
最初から「この法律は、権力が好きに「検閲」をして、好きなように国民を「拷問」できる法律ですよ」とか言ってたら、
どこの馬鹿が賛成したり見過ごしたりしますか。

「もの書き」がリンチされ拷問され殺されてた頃から70~80年程度だと思うけれど、
今振り返って、拷問されて殺された「もの書き」たちに、殺されて然るべき理由があったなんて誰にも
言えないことだと思うのだけれどちがうの?
「いや作家じゃなくて共産主義に通じていた」から嫌疑をかけられた?
共産主義に通じて活動すると殺されるのは良いの?



「規制」をかけるのは「漫画」と「アニメ」だけ、とか言ってますね?
ツイッターでも書いたけれど誰彼無く聞きたい。
表現形態としての「漫画」と「アニメ」の定義、どこで、誰が、決めるの?

枠線が曖昧に崩壊して絵巻物みたいになったりしている「漫画らしきもの」、
漫画って言ってるけど見開きでネームしかなかったりするもの、
アニメだと思って見てたら実写が紛れてきた「エヴァ」は、じゃあ、全編アニメって言える?
漫画と、挿絵付きの小説の区分は誰が決める?
小説や絵画や絵本や映画との明確な境界線なんて誰が決められる?



そして、今、ここの段階では、
「出版社よく言った」「よく行動した」という声も聞こえます。
が、法律が決まった後も出版社が表現の味方かというと、僕はそのようには思っていません。

出版社は、警察や国家の介入をものすごくおそれて(面倒くさがって?)います。
法律が成立するまでは、可能な限り「今」の状態を守ろうとするでしょうが、
法が決まってしまえば、それに従う形で「ガイドライン」を作ります。

そして、それをなぞる形で、出版社自らが行う「表現規制」と、作家はぶつかりあうことになります。

今だってそうであるのと同じように。

「キチガイ」って、商業出版社では簡単に文章化出来ないです。
なんで?
だめなの?
「ダメに決まってるじゃん」と言うかた、なぜダメなのか、明確にご教示下さい。

それがもっと細かくなって、自分も経験ありますが、
「狂ってる」
という言葉が使えない、と言われて、さんざんもめたこともありました。

現在、お仕事をしている相手でもあります。
敬意を持っているつもりですが、
「集英社よく言った」
と言われてもいますが、
その集英社の編集者から、漫画の中の
「狂気」
という言葉、やめてくれ、と言われた描き手の知人が実際にいます。

また困ったことに、この「基準」が曖昧に揺らぐのです。
あるいは、粘り強く交渉すると、
「じゃあしょうがないから」とか言って、「今回に限り」通ったりするのです。

どういうこと?

責任ある編集部長を信じない、ということではなく、
「オレが言うから大丈夫」
と言って下さるだけではコントロールの効かない、
根の深い「自主規制」と「萎縮」が、絶対に存在してしまうことが問題なのです。

人は弱い。
まして、何度も言っているけれど、新人作家が誰もが強い気持ちを持って編集者の「介入」に
100%の自信で抗えるわけがない。

そうした、人と組織の弱さを、立案した側の人物がわかっているから、だから始末に終えない。
権力側の「暴力装置」である「警察」は、伊達ではない。

出版社の「表現規制」とまず向かい合うべき、というのはまったくその通りだと思うけれど、
そこで負けても一介の漫画家のおしまい、だけれど、
公権力の「表現規制」は、それとはレベルが一つ以上違う話だと僕は思う。

成人男子が街をただ普通に歩いていて出くわす(カップルが狙われることはない(笑))、
警官の「職務質問」は、「職質」の必要があるから発動するのではなくて、
好きなように「職質」出来ることを確認して強化したいからするのです。
警察も軍隊も、「暴力装置」の存在意義は、目的にあるのではなく、存在にあるのだから、
存在を見せつけたい。
「暴力装置」が存在を見せつけるためには、暴力を発動するしかないわけですから、
「規制したいからする」
「拷問したいからする」
だけのことです。



今回の「規制」は、そういう所に属していると思う。



「戦前みたい」とか言い出して、左翼っぽいですか?
いや~僕は最近、バリバリの国粋主義者で権威主義者ですんげえこれ右翼だなと自分で思ってますよ。
天皇大好きだし。



でも僕は、やっぱりこれ、「かつて」の繰り返しだと思う。



幕末ブームとからしいからもう少し検証されても良いのになと思うけれど、
日本は、自らの内にある「暴力」=「侍」とか「警察」とか「軍隊」とかを、
徹底的に「自分のこと」として検証して呑み込み切ったことが無いのではなかろうか?
「警察」や「軍隊」を、自分の中の「暴力」としてもう少し受け入れて、その上で制御するのが
正しい意味での「シビリアンコントロール」なのではないの?
「暴力反対」「戦争反対」とか言って済ませてられてる気がするから、
「不健全な表現反対」とかいうお題目に、簡単に呑み込まれるんですよ。



「18歳未満に酒は売りません」というのと同程度のことを、
「表現」を出版するメーカーが努力はしないの?

これからでも、法の不成立と引き換えにゾーニングを求められるなら、それは、
文字通りに「粛々と」するべきだと思う。
ゾーニングはしなければいけないと思う。

漫画/アニメに関心が無い人から見て、
「不快で、恥ずかしい漫画/アニメ」は在ると思う。
その見解に、耳をふさぐべきではないと思う。
耳を塞ぐなら、もう、漫画/アニメ爆発しろ、でいい。

もの言うなら、みんながネクタイ締めている場には猫耳じゃなくてネクタイ締めて出かけて行こうよ。

聞く耳を持たない(てか目的が全然違うから話が通じない)相手に、
この先も、いくつかの手は残っているから、その手を尽くしたあとにまたね。



例によって、
杞憂とか誇大妄想だったら後から笑われてゴメンナサイでいいですからホント。

| 漫画のこと | 01:36 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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