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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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政治には政治の言語/東京都条例改正案「非実在青少年」規制問題 みっつめ

東京都条例改正案「非実在青少年」規制問題に関して引き続き。

承前→例えばこちらこちらなるほどと思うお考え

もし、状況検証して見極めた上で、政治的な事柄に関わるならば、使い慣れなくても政治の「コトバ」を使う必要があるのだと思います。

漫画を描きたいって時に、僕も、まったくもってこんなことにわずらわされたくないです。よりによって政治的なものごとだし、面倒くさいったらありゃしない。


作業中にピンポン鳴ってセールスマンが来たり、回覧板回さなきゃいけなかったり、いっそ今日は食事抜きたいのにやはり考えないわけにいかなかったり(肉体的ツケが来る)、そういうことと同じです。ピンポンにちゃんと出ないと2度目のピンポンを鳴らされるから出るだけで、別に出たいから出るわけじゃない。

全部、好きなことをしたいからその為に雑務をやっているだけです。漫画家でいるために漫画だけ描いててそういられるなら、こう言っちゃ何だが楽です。ドア開けて立っているのがセールスマンなら、ひとまず相手の言語に合わせて対応をする。それが丁寧な対応でも「今間に合ってる」というガチャ閉めでも。まあ「セールスマンの言語」で相手をしているわけです。それで言語は通じるし、コミュニケーションは成立する。

漫画を描くのに無関係に思えない法律(面倒なので法律と言います)が成立しそう、それが自分(たち)が漫画を描くにおいて足枷になりそう、となれば、問題の相手は「政治」なので、政治の言語で話す必要があります。

その意味で、「その法律、やめれくれ」と思う(望む)のであれば、例えば、選挙民として選んだ代表者に直接働きかけるなり、集会を催したり参加したりという「きっかけとしての」アクションを起こす(ネットで言説を広めるというのも、広義ではこれに含まれるとも言えます)、ということが、「政治の言語」だと思います。

けれど、「集会」とかはダサイし危なっかしいし、「政治の言語」としてはギリギリかもしれません。

「ネットで言説」は、前のエントリーでも触れたけれど、皮肉やクサしや冷笑やルサンチマンとの親和性が高くて、自家中毒と自己満足と背中合わせで、なかなか(ある種の行儀の良さを必要とする)「政治のコトバ」になりにくいです。

「異議申し立てが必要」と思うなら、政治の言葉で口を開かないと、原則的には通じないと思います。

「議決権のある議員に手紙」というなら、礼儀正しい丁寧な文面の手紙を書けなければ逆効果だし、「集会」に参じるなら着ていくものにも気を配り穏やかな口調を心がけるアタマがあるべきでしょう。「デモ」や「争議」の心づもりは美しくないわ双方不愉快だわ問題を難しくするだけだわで、あまりいいことがありません。

佐藤秀峰さんからの「作家が団結するのは危険」という要旨を含んだツイート(URL)その他も見ました。少し佐藤さんのご指摘に返答する形で考えを書きます。付加的に思うのは、「漫画家の団結」というのはあまり成功したり持続した例が今のところありませんし、そもそも「漫画家が団結」という事自体が形容矛盾かもしれません。個人的には僕も「団結」「一緒に~」とか聞いた瞬間、引くと思います。「団結」ってアリかナシかとなれば、ナシですね。

佐藤さんがさらにおっしゃる通り、今回の問題以前に、作家が自己と出版社を同一視している状態から抜け出ていないことから生じている問題も多々存在していると思います。同じ心持ちかは分かりませんが、何度もブログで書いているように、僕もとりわけ新人さんや作家志望者に対して「キミ、そんなに出版社に身を委ねていて大丈夫なの!?」と思う事ばかりです。

今回の法規制以前に、漫画家が出版社とも相対していないことから生じている問題がある、ということが佐藤さんのご指摘のひとつであれば、まったくその通りだと思います。

出版社は表現規制/検閲をします。それは知っておかなければならない。

添えておくと、「出版社の規制」の指標や圧力の高低は、出版社の外部の、国や都やその他の組織がその都度決めてくるモノサシの度合いと連動して変化します。20年程前に「有害コミック」問題で規制があったときにも、その外部の「規制」が発動する前と後では、出版社の表現規制は明確に変わりました。つまり「漫画が描かれる現場」では、漫画家が「今度からアレは描いちゃいけない/これももうダメ」と制限を受けていたことが想像出来ます。その意味で、出版社の表現規制と国家(その他)の表現規制は入れ子のように連動して、切り離せない問題だと思います。どちらか一方だけが大事とか関心がある、ということでは、もちろん済まないと考えます。

それらを踏まえた上で。今回の一連の問題は、期限が決まっていて時間が限られている問題なのですよね。自分に関して言えば、自分と無関係でない事柄に何が起きているのか見極めていようと思っています。

漫画に限って言えば、この「規制」が本質的に「紙媒体」ばかりの問題ですむのかどうかも、今の自分にはわかりません。規制をかけようとしている側が、「漫画とは紙の本のことだ」と思っているだけなので「紙の本」(だけ)に規制をかけようとしているだけ、という可能性はないでしょうか?(ちょうど出版社が最近まで「漫画とは紙の上のモノだ」としか認識していなかったのと同じように)

「ネット規制が考えられても、ネットには国境や県境を作りようはないから、規制は及ばない」ということで片付くのか、まだ自分にはわかりません。

また、この規制が「紙の」「出版物」に関わる問題であるならば、「出版社が対応すべき」であるとします。それはそう思います。この点に関しても「出版社だけが対応すべき」なのか、「出版社も作家も対応すべき」なのかは、まだ判断がつきません。ただ、「出版社も作家も」となったときに、作家が出版社に言われ囲われお金を出してもらい、それで勝手に「我々は」みたいな主語でモノが語られることになると(なりやすいんですこれが)、今度はまず条例問題以前に出版社に対して気をつけなければいけなくなります。

大型新古書店問題の集会、という時には僕は逆に大雑把に言うと「関係ないや」と思って行かなかったのですが、今回は関係があると思うので関心を表明しつつ、見極めたいと思っています。

どこからの声にしろ、「一緒に戦いましょう」とか「こっち側に寄って来てください」という誘いの言葉は、足元すくわれる事とセットです。心もとなくても「個人で立って責任を取る」というスタンスでいる必要があります。

その時に、例えばネットは、ブログにしろ、そしてツイッターを使ってさらに思ったのですが、基本的な情報と意見を集め、広め、個人で立つ時の有効なツールになります。こもる毛布じゃないし、ブツブツ言う暗い穴でもない。個人同志の相互支援のハイテク伝声管なはず。

不用意なブログが、「お前それ、みんなに見られてんぞ」ということなら、不用意なツイッターもあって、それはまさに伝声管として「お前それ、みんなに聞かれてんぞ」という感じでしょうか?

話逸れましたが、都条例改正案問題は、「紙の問題」「出版社が対応すべき問題」で済むのかどうかも含め、時間も限られているので瞬間的に深く関心して、僕は見極めたいと思っています。

風速の強い事柄であるので、「人に言われて」とかで体を起こしたりすると飛ばされますし、「おおいこっちこっち」とか手招きする知っている人がいるのでのこのこ付いて行くと関係ないモノに同意の署名をするはめになったり、色々危なっかしいと思います。気をつけてください。今さらですが。

「反対行動をしないのはおかしい」ってのはおかしいし(それだと「表現規制をしないってのはおかしい」と言っている人と同じになる)、「団結だ!」もおかしい。どんな立ち位置もアリですが、「知らなかった」は無いとよいです。

その上で、冒頭に戻りますが、「条例の可決/否決」が問題であり、関わりたいと考えるなら、それは「政治」ですし、「政治の言葉」でやり取りをする必要があります。「気持ちの悪いうるさいヲタクの集団」などと思われるわけにはいきません。

通常の得意技のひとつである皮肉やクサしや笑いを主砲には出来ない場です。ホントはそりゃ簡単に言いたいですよ。

「そもそも規制かけようとしてるあなたがたの親分が、昔から不埒で破廉恥な作り話書いている人なわけで、そのことが二重三重に色々恥ずかしいですけど」とか。

「ウッシッシッシ」かも知れんし言って痛快な気はするけど物事が動かん。



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東京都条例改正案「非実在青少年」規制問題 ふたつめ

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