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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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「漫画家のなり方」58

第12章 アシスタントの日々になすべきことについて

   その15 代案を出せて初めて「批判」と言える

プロの描いている漫画を読んで、「この漫画 つまんない」って思っていいし、言っていいです。

ただ、それは、それだけでは「感想」です。

その、本来無責任な「感想」を表明することが「批判」だと考えてしまう安易さの罠が、マスなコミュニケーションや個人的なコミュニケーションの中にあふれています。


そうしたステージで、「感想」をひけらかしてそのままにしても構わないと思っているものだから、それがまき散らされ、それは「批判」にならず、「誹謗中傷」になってしまいます。
その愚にはまらなければ、「感想」は自由です。「感想」を「感想」に留めるのって、難しいのですよ。

「批判」というコトバが、あまり良い意味合いに扱われなくなっているようです。
「非生産的な感情的傷つけ合い」というくくられ方に寄ってきているようです。
それは、例えばインターネットでの「匿名掲示板」のようなところでまき散らされる「誹謗中傷」と、区別がつきにくい。つきにくい、というよりは、「誹謗中傷」と「批判」は一緒くたになってしまっています。

「誹謗中傷」は、ただ幼稚で愚劣な感情的発露です。
「好き嫌いを表明して何が悪い?」という思考停止です。

好き嫌いを表明して何が悪いか、わかりますか?

そこには、嫌いなものを無条件で排除する論理が内包されています。また、もしかしたら他者は自分の嫌いなものを好きかもしれないという可能性、あるいはその逆の可能性を尊重しなくなります。

「好き嫌いの快不快」だけで世界の善悪を区分けしていると、そのうち、今の自分の感受性を傷つけないでいてくれるものだけしか許容出来なくなります。
それは、個人にも集団にとっても、幸福にはつながらない。

そうならないために、「批判」的やり取りを訓練する必要があります。
「批判」も、時にはもしかしたら「好き嫌い」や「快不快」を出発点にしています。
それでも「批判」は、「誹謗中傷」とは成り立ちの強さが異なります。
「批判」は、感情を脇に置くことが出来た上でなされる、解放された、応酬を前提した、もっとタフな「議論」のいちパートです。

「批判」には、「反論」という「代案」が必要です。
「代案」が出されればその「代案」の強度をさらに検証し、採用部分と不採用部分を精査し、その上で、「再提案」を行います。
そうしたやりとりが「批判的議論」です。
「反論」と「感情的反発」はまったく異なるものだと、わかるはずです。

精神が未成熟な者どうしが「好きなもの嫌いなもの」の話をすると、感情的に不愉快な気分になりがちです。
「誹謗中傷のココロ」でしか自己形成できていないからです。
まだ「批判」の正しいやり取りが身に付いていない、ということです。

仕事場で、不用意に「好き嫌い」の話をするべきではない、というのは、そういうことです。

正しい「批判」能力は、作家に不可欠な資質です。

当たり前ですが「感想」を持てる感受性は必要です。
その上で、作家が出せる「代案」とはつまり、

「自分だったらこう描く」

と言えるかどうか。
その、描いた作品が実際に、面白いかどうか、です。

「感想を述べるだけ」は、そろそろやめにしましょう。
「感想」を大声でまき散らすだけのやり取りが、「誹謗中傷」や「不愉快拡大生産」になることもやめましょう。インターネットの匿名のバカどもと同じ愚劣です。

「人の描いたこの漫画、つまらん」という感想は、
「じゃあ自分だったらどう描くのか」という条件反射を伴うように訓練して下さい。

そして、本当に、描いて下さい。
どれだけ今まで、口ばかりを動かしてきたか、わかるはずです。


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