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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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「漫画家のなり方」4

第1章 漫画雑誌の終焉

   その3 漫画雑誌が果たしていた役割

赤字の漫画雑誌。それを、出版社が頑張って、未来永劫、出し続けてくれるならば、心配はありません。けれど、そんなことは無いはずです。

小学館「週刊ヤングサンデー」は、2008年になくなりました。いまだに、なぜ、「ヤンサン」が、「ヤンサン」だけが無くなったのかの、本当の小学館の意図はわかりません。

「赤字収支が続き、経営上の判断をせざるを得なくなった」との表明がありましたが、ならば、なぜ、「ヤンサン」だけなのか?「ヤンサン」を休刊したことで、小学館の漫画雑誌の経営収支は、黒字になったのか?



もちろん黒字ではありません。
漫画雑誌の赤字はなくなっていません。
であれば、「ヤンサン」以外の雑誌が無くならないことが保証されているわけでもない、ということです。

むしろ、「漫画雑誌を1冊なくすと、どうなるのか?」を、大きな出版社が自ら知ろうとしてみた、ということなのではないでしょうか?
得るものがあったことを祈るのみです。
今のところ、小学館が、「雑誌をなくしてみて、どうだったのか?」「どうしようと考えるのか?」は、読者にわかる形で伝わってはきません。

漫画雑誌がなくなることは、今後も起こるはずです。

漫画雑誌が無くなるとして、困ることは何か、と考えます。

雑誌編集者の生活、に関しては、フリーではない出版社社員にはひとまず会社員的処遇があるものと考えて、脇に置きます。添えて申しますと、自分の経験の範囲内で、会社員ではないフリーの編集者は、このあたりのこと、つまり、もし漫画雑誌が無くなったら・・・という問いに、意識的であることが多いです。
漫画雑誌が無くなると困ること。言い換えると、漫画雑誌が絶対的に果たしていた役割は、どういったものであるのか、いくつか挙げてゆきます。


      1 雑誌で必ず毎回新作漫画が読めた

漫画雑誌の素晴らしい意義の筆頭は、その雑誌の発売ペースに合わせる形で、連載漫画の新作が次々に読めていた、ということです。
週刊誌であれば、毎週、好きな漫画の新作が必ず読めたわけです。

すべて過去形のように語っているのは、意識的なことです。
いつしか、週刊漫画雑誌を手にしても、好きな漫画が毎週絶対に載っている、という状況は過去のことになっています。

個人的記憶として、どのような経緯によりいつ頃からそのようなことになり始めたのかの私見を述べたり例示したりすることも可能ですが、詮無いことなので控えておきます。
週刊誌に、連載作品が絶対的には毎週載らなくなったことに関しては、それぞれの立場の関係者に、それぞれの言い分が存在し、ここまでに功罪両方のことが生じたはずです。

功罪の、罪は、週刊誌が週刊連載の限界を認めてしまったことによって、雑誌が絶対的に放っていたある種の熱のようなものを自ら否定してしまったことです。

どのようなエクスキューズが添えられても、これは間違いなく、どこか過去の時点で起こってしまったことです。
現在はもう、「今思えばあの時が漫画雑誌のピークだった」と、過去を振り返れる時代であるはずです。

株価の下落が誰にも止められないように、おそらく自動車がもう2008年以前のようには売れないように、過去のどこかの時点で、
「ああもう、好きな漫画が毎週絶対に興奮とともに読めないなら、単行本になるまで待って、単行本でまとめて読めばいいや」
と思ってしまった人たちの数が、ある臨界点を越えてしまった時があったのです。

功、に関してももちろん多々ありますが、それはここで多く述べたいことではないので、それぞれで考えを巡らせていただきたいです。


      2 漫画の週刊生産は困難なのか?

なぜ、漫画週刊誌に、毎週きちんと連載作品が載っていないのでしょうか?

それは、週に1本のペースで漫画を描くことが、とても難しいことだからです。

週刊漫画雑誌が世の中に出始めた頃、もちろん自分も話としてしか知りませんが、「トキワ荘」の大先輩方のような方々が、月産数百枚というようなキチガイじみた量の漫画を描いていました。

しかし、漫画作品の1ページに必要な画の密度、情報の緻密さは、当時と比較して格段に高いレベルが必要です。

反比例するように、1ページで語ることが出来る物語の量は、格段に少なくなっています。
極端な例で申せば、手塚治虫さんのような漫画家さんが、20ページ30ページで、壮大な叙事詩、人間の一生、のような物語を描かれていること。
そこまでの短さでなくても、「火の鳥」の各篇のような物語が、それぞれ本1冊のボリュームに収まっていることを考えても、今、それほどの短さで、壮大な物語を描ききる例が非常に少ない、と言えば、わかっていただけると思います。

物語を描ききるにあたり、漫画が冗長になっていること。
それに反比例するように、1ページの完成に必要な様々な要求水準は桁違いに上がっていること。
なにゆえにそのようなことになったか、という分析や論評は可能ですが、本論の主旨から外れるので、これは別の機会に譲ります。

ともあれ、今、漫画は、かの時代の神サマのような人たちがやっていたように、「とにかく漫画に命を懸けるんじゃ」といっても、それで月産数百枚が可能、というものではなくなっています。

それどころか、週刊連載で、必要なクオリティを維持する執筆が、難しくなってきています。
それは、画のクオリティももちろんですし、情報を取捨選択し、練り込んで、作品にリアリティを与え、満足な取材も行い、不特定多数の読者さんの感想と批評眼に耐える漫画を、1週間に18ページとか22ページとか、描き上げて行くことの限界を示しています。

もちろん、自分のお師匠は言うに及ばず、現在でも週刊連載あるいはそれ以上の執筆ペースで、素晴らしいクオリティの作品を生み出し続ける漫画家さんはたくさんいらっしゃいます。
そうした作家さんのお仕事に、何を申し上げたいわけでもなく、ただ、敬意を表するのみです。
自分も、個人的には今も、「最低限、週刊で漫画を描けてナンボだ」という考えはあります。

それでも一方で、漫画の全体的な状況として、漫画の週刊連載、週に1本の漫画の生産、そうしたペースはもう限界だ、とも考えます。
そうであるなら、「漫画週刊誌」も限界です。

週刊漫画雑誌は、その限界を自ら認めているはずです。
必ず、巻末の目次のどこか外枠に、
「今週の~~は、休載します」
とあって、漫画作品は、何週間かに一度、休載しています。
昔だったら、連載作品が載っていないのは、大事件だったはずです。
それを、漫画雑誌自らが許してしまっている。
許さざるを得ない状況になってしまっている。
そうなってしまったなら、週刊漫画雑誌が「週刊」を名乗る資格はもう失っています。

隔週刊の漫画雑誌が週刊になることが大英断だったように、週刊の漫画雑誌に大英断が下されるくらいの判断が出版社になくては、もう週刊漫画雑誌はどん詰まりです。

そのようなわけで、「漫画雑誌の発売ペースで、好きな連載漫画の新作が絶対に読める」という漫画雑誌の大きな役割のひとつは、過去のものになっています。


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