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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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「漫画家のなり方」59

第12章 アシスタントの日々になすべきことについて

   その16 否定の言葉でしゃべらない タメ息などつかない しゃべりすぎて気持ちよくなっちゃったらいけない

「否定の言葉を使わない」って、かなり難しいです。

唐突ですが「ダ行」のコトバはよろしくないです(なんでだろ?)。


だめだ・・・
だって・・・
だから・・・
でも・・・
どうせ・・・

自己卑下だったり、言い訳だったり、とにかく自分と相手の気持ちをそぐコトバばかりです。

「だって、こんなブログ書いたって、どうせ誰も見てくれやしないからだめだと思うんですよね。でも書いちゃうんですよね。だって他にやること無いじゃないですか? でもどうせ僕なんかの書くものは・・・」

うわー、ムカつくわ。
でもこういう言葉を紡ぎたくなるココロは、常に誰の中にもある。

ココロの中にあるからって、まき散らしていいわけじゃない。

こんなコトバを聞かされて、その相手を応援したくはならないでしょ?
人のタメ息を聞かされて、嬉しい人はいないでしょ?
否定のコトバ、否定の態度は、漫画を描く時の漫画表現の道具として使うのは良いですが、否定のコトバで自己形成を始めるとアウトです。

否定形を用いない言葉をつづることは、習慣で身に付くこと、身につけるべきことです。
例えば思いつきの文章ですが、
「キミはその条件を満たさなければダメだ」という言葉と、
「キミはその条件を満たす必要がある」という言葉は、論理はまあ同じです。けれどふたつの言葉は、受け止めるときの気持ちは同じではないでしょう。
どちらの言葉をもらう方が良いですか?

あるいは、よほど気をつけないと、「~しなきゃダメ」「~しないといけない」という言葉の選び方をしないでいることは難しいです。
口癖は、心の癖として体にしみ込んでいき、その人の人生の癖そのものになります。

人に読んでもらうための文章が「否定形」ベースであるのは、つらいことです。
商業的に人に読んでもらう文章は、もちろんそうしたことに気が配られています。本論も、それなりに気を配り、「否定形」でつづらないようにしています。

人の話す言葉、人の書いた文章に触れるとき、「よくわからないけれど気持ちが良くない」のなら、それは「否定形のココロでつづられている」言葉であることが多いです。そうした眼で、あふれる言葉を選り分ける癖をつければ、割合簡単に見抜けるようになります。

「否定形の言葉」のココロの人は、「否定形のココロ」の人生になります。

「否定形のココロ」の人が描いた漫画は「否定形の漫画」になります。

文章ではそれでも比較的見抜きやすいですが、「否定形の漫画」はなかなかその成り立ちが見抜きにくいです。
「絶望を描いた漫画」「悲しいストーリーの漫画」といった種類の漫画と、区別が付きにくいのです。
「絶望を描いた漫画」「悲しいストーリーの漫画」も、良いものは読んでいて「楽しい」です。
「否定形のココロ」の漫画とは、「読んでいて楽しくない」(ほら、この定義も「否定形」でしょ?)漫画のことです。

どのような言葉を選び、どのような言葉でやり取りするか、その日々の積み重ねは、やがて大きな違いになって行きます。
積み重ねで身に付いた言葉が、描かれる漫画の「本性」を決めます。それはごまかしがききません。

「肯定のコトバ」で自己形成することを心がけて下さい。


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