一色登希彦/ブログ 

一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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「漫画家のなり方」42

第11章 プロになりたいと思う かどうか


 その前に

吉田ぁー
吉田くん
いつでもお前を見張っているぞー
ドキドキしながら読んでるのかぁー?!
そうかぁー
ドキドキしとけー
俺by秀峰
お前のことじゃあないから安心しろー
なんだ 隠れてもダメだぞー
ここかぁー
ここだなぁ?
FC2じゃねえかぁー
こんにちはー
(何しろ画像が無断転載なんですよ いいのかなあ? ドキドキするなあ・・・)


さて本日もまいりましょう。


   その5 アシスタントについて またはプロ以前の時代について

プロになりたいと思う。
そうしたとき、キャリアのこの時点で、どのように次に進むか、という話を次章でつづります。

漫画家さんの作画アシスタントとして、お給料をもらって手伝いをする。そうした中で必要なことを身に付けて行く。
あるいは、それに準ずる日々を送る。
そうした日々を始めます。


雑誌に読み切り作品が掲載される、あるいは担当編集者が付く、という状況であれば、希望すれば漫画家さんのアシスタントの仕事を紹介してくれるはずです。

あるいはインターネット等の手段で、アシスタント先を探す。
漫画家アシスタントの募集と希望を見ることが出来るサイトもあります。
少し話がそれますが、好きな漫画家さんのメールアドレスがわかる場合であれば、自らアシスタント採用を問い合わせることも現実的には可能です。この方法はまだ現在の時点で一般的ではないかも知れませんが、今後、ひとつの方法として成立していいはずです。

また、そもそも、「漫画家の作画アシスタントという経験は必要なのか」という疑問もわくことでしょう。

「アシスタントを経験するべきか」に関しては、理想の回答が存在しないというのが、現状、本当のところかもしれません。
プロの漫画家さんで、アシスタント経験がない方ももちろんいらっしゃいます。

ただ、「作画アシスタントを経験するといいよ」と言いやすい状況でありつづけると良いとは考えます。

これは、漫画家の側の都合でもあります。
多くの漫画家さんは、ひとりで漫画を描いていません。人に作画を手伝ってもらっていることが多いです。
漫画を描く作業において、作画アシスタントは、大切な存在です。
ですので、漫画家になるプロセスの中に、作画アシスタントの一時期が存在し、漫画が制作されることに力を発揮してもらいたい、という「都合」があります。
その代わりに、漫画家志望者はその「アシスタント」時代に、漫画家になるにあたって必要なことを身につけることが出来るべきです。
漫画家は、漫画家志望者がその貴重な時期を費やして作画の手伝いをしてくれることの意味を理解し、かなうならば、漫画家志望者が漫画家になるために有用な環境を少しでも提供する意識を持つべきだと、自分は考えます。

作画アシスタントの日々を、無益に過ごしてはならないし、漫画家は作画アシスタントを疲弊させきってはならないはずです。
「アシスタントなんてロクな日々ではなかった」と考えたまま漫画家になったら、自分の漫画を手伝ってもらうことになる作画スタッフさんにも、「ロクでもない日々」を過ごさせることになります。
その循環が、漫画にとって良いこととは考えられません。

「漫画家になるためには、漫画家の作画アシスタントを経験するべきだよ。プロの漫画家から得るものは貴重だよ」ということが「常識」でありつづけることは、漫画にとって大切です。
この「常識」がすたれると、現在の漫画の制作体制の根本が揺らぎます。
そのことは漫画家も漫画家志望者も心に留めておくべきです。


   その6 “漫画家のアシスタント”は “不本意”だが“みじめ”ではない

前項の主旨を踏まえて、「プロになりたい」との決意をされたならば、漫画家の作画アシスタントを経験することをおすすめします。
次章は、アシスタントの日々に、どのようなココロで臨むべきか、ということを書きます。
仮に、漫画家のアシスタントを選択しない際も、それに準ずる日々を過ごすのだという意味において、同じ心構えと姿勢を、自己検証して身に付けてください。

漫画家になりたいかたであれば、基本的に「漫画家のアシスタント」という立場でいることは「不本意」な状態であること、それを忘れないようにしていただきたいです。
同時に、その立場は「不本意」ではあるけれど、決して「みじめ」であると感じるべきではない、ということも強く申し上げておきたいことです。

「不本意」であることを忘れない、ということは、ココロを整えてその「不本意」である状態から自分を引き上げるための日々を過ごす、ということです。
考え、企み、試み、失敗を重ねつつ、身に付け、手応えをつかみ、進歩する日々であれば、やがて「不本意」からは抜け出せます。
進歩する日々を過ごすのであれば、その歩みががどれだけゆっくりでも、「みじめ」にはなりません。「みじめ」であると感じる必要はありません。

「みじめ」になるのは、自分の今の状態を自分で「みじめ」だと考え、自分でしかケアの出来ない大切なプライドを揺るがせ傷つけ、卑屈をわき起こらせ、人と自分を比べ、うらやみ、ねたみ、あせり、だれも気にしていない自分の失敗を大きく考え過ぎ、逆に成功や得たものや褒め言葉に気付かないようになり、褒め言葉さえ「自分がからかわれている」と考えるようになり、自分で自分を「やせさせ」「自傷させる」ようになってしまった人のはまる落とし穴です。

自分をみじめにしてはなりません。
みじめになる必要はありませんし、それは、意地を張りエネルギーを使ってでもみじめでなくいるべきです。

漫画家への進歩をやめたなら、漫画家アシスタントあるいは漫画家志望の立場はただ「みじめ」です。そうなったら考えなければなりません。

「漫画家になること、そろそろあきらめたら?」

こう言ってくれる人は、ほとんど存在しません。
またこれが、親や家族が言ってきたりしますが、それは聞く耳持てませんよね。
よほどの友人でなければ、こんな大切な助言はくれません。
漫画家になることを希望し続けるか、どこかでやめるかは、自分で考えて決めないと、みじめな人生になることと紙一重です。

イヤな話でしょうが、これはくどく書いておきます。


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