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一色登希彦 ブログ / 三重県の小さな町に在住 現在は飲食店に従事 漫画描いてました

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「漫画家のなり方」6

第1章 漫画雑誌の終焉

   その3 漫画雑誌が果たしていた役割

      4 編集者自身が果たしていた役割

編集者と、もめる時もありましょう。そうした時に、うるさいこと言われずに自由に描けたら良いのになと思うこともあります。

しかし、ここにも、現在の漫画のひとつの特徴が関係してきます。



商業的漫画はおそらく多くの場合、編集者あるいはそれに当たる人の、助言を含む打ち合わせのやり取りを経て、不特定多数の読者さんの批評眼に耐える、質の高いものになってゆきます。


もちろん例外もあるはずです。才覚にあふれる人が、誰との打ち合わせや完成前の他者の意見を踏まえた推敲を経ることなく名作をどさどさと生み出すことはあるかも知れません。
まあ、これも本論の埒外です。そして、例外的なことです。

漫画雑誌が仮に無くなるとしましょう。そのとき、漫画家が、担当編集者を失うことは、やはり大問題です。名称はなんであれ、現在の漫画の編集者は、映画においての、映画監督(漫画家)に対するプロデューサーのように、不可欠な存在です。映画でプロデューサー不在の場合は、監督がプロデューサーを兼ねていたりします。つまり、漫画家が、編集者が行ってくれていた業務もすべて自分でこなせるなら、問題はありません。
でも、とてもじゃないけで、大変です。
漫画雑誌が無くなるとしたら、打ち合わせをして共に漫画を創って行くパートナーとしての編集者を失ってしまいます。

すでにもはや「編集者」という名称が、言葉の意味として正しく編集者の仕事を言い当てていません。
編集者はすでに、「雑誌の編集」という仕事以上のことを負ってくれています。
そのことに対する、編集者の仕事への真っ当な評価は、確立されていません。
良い仕事をした編集者には、名誉と権利と報酬と有名と、もちろんそれにともなう有名責任が、与えられるようになってもよいはずです。

ごくたまに、高い評価をされた漫画作品の共同制作者として、編集者あるいは編集者から独立した別の名称で、名前が出てくる方がいます。
そうした、まだ珍しいケースを別にしても、現在の漫画の多くは、基本的に共同制作者を必要とします。
商業的漫画が、プロデューサー的役割の編集者、もしくはそれにあたる存在の誰かの力なしに成立することは珍しいはずです。

編集者が果たしてくれていた「客観的助言者」「プロデューサー」としての役割を、どこでどのように漫画に保証し、補うか。
それは大きな問題です。


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