あまりのことに、言葉の綴りようもないけれど、
書き記さない訳にもいかない。
ノリック/阿部典史選手が亡くなったニュースを先ほど知った。
サーキットではなく、公道上での事故だとのこと。
事故の原因も状況も、今はどうだっていい。
どれだけ愛されるべき/惜しまれるべき人であったかは、
今さら僕が書き連ねることでもないだろうから、
自分にとってのノリックという存在について少し記そうと思う。
僕の漫画家としてのキャリアの最初期からをご存知の
数少ない方はご記憶かも知れません。
97年終盤に小学館「ヤングサンデー」誌増刊号に前後編で掲載した
阿部典史、いややはりノリックと呼ぶ、ノリックのストーリーが、
今の自分につながる、本当に大切な自身最初期の作品です。
当時からのオートバイレースファンならば誰もが知っている、
伝説の96年鈴鹿日本グランプリでのノリックの初優勝に感動し、
触発され、描いたストーリーでした。
ノリック本人に何度も取材をさせてもらいました。
僕自身の未熟故に、何度も何度もネームを
描き直すことになり、あわや企画/掲載自体が無くなりかけた
時期もありました。
「これが実現しなかったら、自分の漫画家としての
今後はありえない」、と、まさに優勝した日本グランプリに
臨んだ際のノリックの心情に自分を重ねる思いで
叶えた企画でした。
完成したストーリーを、当時いくつか並行して存在した
他の「阿部典史物語」漫画と比べて、ノリック本人が
とりわけ気に入って褒めてくれたことが、自分にとって
大変な励みになりました。
残念ながら前後編という短さ故、単行本化はなされていませんが、
このノリックのストーリーの好評を受けて、同じく実在の
グランプリライダーを描いた「ライド・オン」の
「ヤングサンデー」本誌への集中連載/好評を経て、
長期週刊連載「ダービージョッキー」の連載へと繋がるのです。
センチメンタルな表現であることを承知で言えば、
ノリックは僕を漫画家にさせてくれた、僕が漫画家になる力を
与えてくれた、かけがえのない恩人であり、本当のヒーローでした。
加藤大治郎が亡くなった時と、同じことを思い、
同じことを表明しようと思います。
ノリックが僕に/僕等に与えてくれたものに対して、
僕はまだ全然お返しが出来ていません。
お返しに代わることとして、やはり僕は、日々、
悔いなく楽しく生きて行こうとする以外にない、と
思います。
悲しんだり、悔しがったり、もっと言葉にならない感情に
まみれてしまうのは、ご家族はじめ、身近でノリックと日々を過ごした
方々にこれから引き受けていただくしかないことだと
思います。
ノリックのファンだった者/ノリックをヒーローであると
感じていた者としは、
ああそうだ・・・その中で1番世界に知られているのは、
バレンティーノ ロッシではないですか・・・
そういう者としては、
悔いなく楽しく生きて行こうとすることで、彼に
報いたいと考えます。
ロッシよりも楽しく生きなければそれは叶わないのだから、
大変な課題だ・・・
やりがいがあることではないですか。
僕はそのように思う。
さっき涙も流した。
しっかり日々を生きたいと思う。
死んでも絶望的になどならない、と決めておく。
ノリック、ありがとう、と
言っておく。
キミのことずっと忘れないよ。 「超」マジで忘れないよ。